男は私に引き寄せられるように、先月と同じ場所でぴたりと止まった。いや、じっとしているにもかかわらず引き寄せられているのは私だった。

 

 私は微動だにせずに男を見つめた。男はゆったりと近づいてきた。男の方が確実に私の方に歩いていた。私は強い力でぐいぐいと引っ張られるようで、少し苦しくなった。息苦しさや、圧迫などではなく、詩的な苦しさだった。

 

 切なさといってしまえば甘すぎ、予感と言えば神がかり過ぎていた。

 

 

 

 男が私を見ている、と思った。男は中に入り、私の斜め前にすわった。特に私を見る様子もなかった。ただ脚を組んですわった。私はがっかりはしなかった。むしろほっとしていた。男を観察する機会を与えられ、私はじっくりと男を見た。男はコートを着たまま、長い脚を伸ばし、顎に手をあてた。

 

 どれほど魅力的というルックスでもなかった。なのにどうしてこんなに興味を持ったのか不思議だった。男の観察を終わり、何だか奇妙な達成感でコーヒーを口に運ぶと、男が体を私の方にくるりと向けた。そして立ち上がった。その視線はしっかり私に向けられていた。

 

 

 

 思えば平凡で、ありきたりな出会いだった。カフェでの出会い。言葉を交わし、共通の感情と時間を持つ。それだけのことだった。

 

 この前は失礼しました。男は言った。

 

 えっ? そう言う私に男はガラスを目で示した。

 

 見えていたんですか? 男を見ている私を男も見ていたのだ。

 

 ええ、この前も、今日も。

 

 そうですか。

 

 すわっていいですか。

 

 ええ。

 

 

 

 

 男も私も十分に分別のあると思われる年齢領域に足を踏み入れて長かったので、それは傍から見たら、恋の始まり、というよりは、顔見知りに挨拶した程度の何気なさだった。

 

 またここでお会いしたらご一緒させていただけますか?

 

 ええ、どうぞ。

 

 私は感情をこめずに返した。その日、男と私は三十分ばかりも向かい合ってすわりながら、個人的なことは何一つ話さなかった。話したのは静物に関することばかり。コーヒーカップのあじわい。壁にかけてある絵、厚い木のテーブルの感触…。どちらかぽつり、と言い、どちらかがうなづく。

 

 男を身近に感じた。男に対してとりたてて魅力を感じたわけではない。彼は確かに男性であったが、直接的な関わりの予感や期待などはなかった。

 

 私と男は決して次回の約束をしなかった。じゃ、また、と私が言い、じゃ、また、と男が返すとき、お互い何の拘束感もなかった。それでいて会えたら会いましょうという相手の意志を尊重しながらも、きっと会いましょうという強い意志があった。私は仕事柄、時間が比較的自由になったので、時間をみつけてはカフェに通った。

 

 私には夫も仕事もあり、人生が完璧に満たされているとは言えなくても、世をはかなむ理由も人生にふてくされる理由もなかった。特に出会いも求めていなかった。意識的には。華やかに着飾り、媚に似た笑いを繰り返していたかつての日々は去り、私は麻のような味わいに魅力を感じ始めていた。

 

 私は男と共にテーブルに向かい合う時間の何倍もの時間、カフェで過ごした。ぼんやりした意味なき時間を過ごした。私は男を待っていた。待って、待って、待っていた。

 

 癒しの時間。ある時ふと心に浮かんだ。日々の中、スムーズに何気なく処理していくと思いこんでいる一つ一つの悲しみややるせなさ、寂しさ、嫌悪感、わだかまりが、少しずつ小さな固まりになり、心の表面にこびりついていく。そんなどうしようもない影の一つ一つが生きていくというあかしで、忘れようとしても忘れられぬ何かが淀みとなっていく。それらを無視し、何事もなかったように微笑むしかない、と思っていた。

 

 しかし、男と出会い、その淀みや影が癒せることを知った。何もしなくてもいいのだ。やはり淀み、影をもっているだろう者と一緒に時を過ごす、そうすることによって癒せる。それはエコーに似ていた。無視し続けていた痛みに似た何かが男に伝わり、エコーとなって返ってくる。それは私の痛みであり、男の痛みでもあり、エコーされることによって、私の淀みは薄らぐ。実際は私がそう感じていただけかもしれないが、男といて私は確かに癒された。

 

 

 男も私も、名前すら互いに聞かなかった。それは協定のようですらあった。私たちは言葉少なくはあってもひどく自由に思いを伝え、うなづき合ったが、互いの情報は何一つ欲しがらなかった。いや、欲しがらないふり、を続けた。

 

 思えばおかしなことだ。キーをたたけばすぐに得られる情報のかけらすら求めなかった。癒しの時間を共有しながら、男と私は互いのことを知ろうとしないふりを続けた。

 

 語れば語るほど、男と価値観や感情の流れが同じリズムで存在することを知り、孤独感が薄らいだ。興味の対象も似かよっており、あるテーマで話し続けると無理なく話がつながっていった。相手に合わせたり、自分の趣味を無理にかえる必要がなかった。

 

 男との癒しの時間は続いた。それだけでやめておけばよかったのかもしれない。

 

 ある午後のことだった。男は一言、結婚は?と聞いた。しています、と私は答えた。男は言った。私もです、と。自分のことを話したかった。子供が母親に自分のことを話すように、私も自分のことを知ってもらいたかった。そして男のことももっと知りたかった。けれど、私たちはそれ以上、何も言わなかった。どうして男がそんなことを聞いたのか、私にはわからなかった。互いに薬指の指輪の存在を知っていた。今さら確認する必要のないことのはずだった。けれど女性では声をかけられる煩わしさから、フェイクでつけているものも少なくはない。男はその事実を確認したかっただけなのだろうか。

 

 歩いてみますか?

 

 男の言葉に私は動揺した。店を出て男と歩く。それは許されない冒険のように思われた。けれど私はにっこり笑った。ええ、気持ちのいい日ですから。

 

 私たちは並んで歩いた。歩きながら、自分たちがどういう関係に見えるだろう、と考えた。夫婦ではなく、恋人でもなく、同僚か…。同僚というあまりに無味乾燥な響きに笑いたくなった。笑いそうになりながらも男との関係を表す言葉をさがした。必死でさがした。ゲームの時間切れが迫っている、そんな圧迫感の中、さがし続けた。すると、詩的な関係…という言葉が浮かんだ。

 

 時間は?と男は聞いた。十分あります、と答えてから、自分がひどく卑しい女になったような気がした。何を言っているのだ、何を。私は顔ではひどく物静かな無表情を装いながら、自分ではコントロールできない何かがまとわりつくのを払いのけることができなかった。

 

 私は男との詩的な関係が壊れるのを恐れた。二流の中間小説のように途中で物語がトーンを変え、思わぬ方向へ行ってしまうことを恐れた。

 

 けれど物語を投げだすつもりはなかった。もし投げ出したならば未完のストーリーとして時と共に愛すべきエピソードとして終わっただろう。時が経てば夫にだって話せただろう。夫はいつまでも子供っぽさの抜けない妻のロマンス願望として意にもかけなかっただろう。

 

 けれどあの店を出て歩き出すということは心のつながりを離れ、二つの肉体が歩き出すということだと予感していた。

 

 と、突然、男が言った。

 

 やめました。

 

 えっ?

 

 私は今、仕事をやめました。

 

 仕事…をですか?

 

 はい。やめることにしました。

 

 お仕事なんなんですか?

 

 何でも屋…とでもいいましょうか。今回は…

 

 今回は?

 

 別れさせ屋…って知っていますか?

 

 男の声は機械音になった。

 

 ああ…。

 

 私はその瞬間悟った。

 

 知っています。そんな仕事があるということを聞いたことがあります。

 

 私は今、それをやめました。

 

 分かりました。

 

 夫に愛人がいて、私に慰謝料を払うことなく別れたがっている。その事実が、いきなり雲から出た太陽が自分の影を強烈な濃淡でアスファルトの上に映し出すように、潜在意識の中からはっきりと浮かび上がった。

 

 「詩的な関係」は、ぺらりと地面に落ちた。

 

 男はゆっくりと頭を下げ、そのまましばらく動かなかった。そしてまたゆっくりと頭を上げると私を見ることなく、反対方向に歩き出した。

 

 詩的な関係は小さな埃が次第に周りの埃を吸い寄せ大きくなっていくように、姿を変え、雑踏の中を転がっていった。