ティール色…そしてオレンジの空間:ミドリ

 

 

 私がよく立ち寄ったバーにはポッポッと青緑色の光が流れていた。ティールという色。私の好きな色。私の名前のミドリよりはブルーよりの色。そんな暗くて小さな光がいくつも周りを染めていた。

 

 男や女が入っていく。男はコートの襟などをたて、女は襟元を少し疲れたように指先で押さえたり、髪をかきあげたりしながら、店に入っていく。

 

 その青い光の中に吸い込まれていく。

 

 私もその一人だった。私にとって青い薄暗い場所はサンクチュアリー。保護区。

 

 青のエフェクト。そこに写し出されたのは日常のようで日常じゃない。どこか淋しい非日常・・・。青や緑は自然界ではなんとも心休まる色のはずだが、人工の光となると、淋しい心象風景へとつながる。

 

 その雰囲気があまりに自分の心象風景にぴったりだからと入る者もいれば、その雰囲気に浸りたいから入る人もいる。

 

 人はどこかで色を求めている。自分の心象風景に合う色を探している。昼間の喧騒で疲れた体と心に合う色を探している。確かなのはその青い光を見て、急にはしゃぎたくなる人も踊りたくなる人もいないということだった。だから、このミステリアスな色は人を「動から静にする色」だった。少なくとも私はそう思っていた。

 

 私はしばし、その静の国の住人だった。そして静の国では輪を飛ぶままにさせておいた。それ以外では必ず輪を追い払おうと必死だったが、静の国では輪を無視することができた。私の保護区であり、輪の保護区でもあった。もちろん触れてはいけない。輪は狂気の国への入り口だ。

 

 

 この色の真逆に位置するのがファミレス色。ファミレスは団らんの色。オレンジ色。ブラウンも多い。そして造花が、はい、わたしはここにあるべきなのですから、という顔をして存在する。でしゃばらず控えめでもなく、あるべきですから風である。庶民的に明るく。「アートフラワー」より「造花」が似合っている。遠くから見ると「わりかし綺麗」な花たち。

 

 ファミレスのいいところは煩わしさがないところだ。空間だけはふんだんにある。もちろん、ファミレスにもいろいろある。アッパーレベルでは入ったとたんフランス料理店に入ったようで、なんだか自分と不釣り合いに思えて一瞬ひょいと身がひけたりするが、よくみるとそれはファミレスが振りをしているだけなのだ。

 

 ロウアーレベルではけっこうちゃかちゃかごやごやしているが、それでも大衆食堂やうどん屋に入ったようななれなれしさやねっとりした日常感はない。

 

 ファミレスはきれいな日常なのだ。煩わしさを切り取ってほおりなげたあとの日常。だから赤ん坊を背負った主婦でもすいっと入っていける。疑似日常。疑似家庭。コーヒーのお代わりはいかがですか、とやってくるウエイトレスたちはウエイトレスであってウエイトレスでない。女の子であり主婦であり、スーパーの隣で買い物をするだろう同胞だけれど、この疑似日常ではウエイトレスの制服を着てきれいな日常の演出に一役かってくれる。同胞ではあっても世間話についやしたり、相手の気持ちを考えたりしなくていい。

 

 私は青い光の中で出会った男と結婚して、ファミレスが似合う女になった。いつも、二人でファミレスに行くようになった。夫とではない。ロカとだ。この名は夫がつけた。未だに意味がわからない。名前は今一だが、ロカのことは好きだ。だから2歳のロカを連れてファミレスへ行く。オレンジの空間へ。

 

 オレンジの空間では輪が少なかった。だからファミレスが好きだった。心が安定すると輪は減るのだと思った。ファミレスでは自分が安定していると感じた。

 

 それでもオレンジの空間で、私はしばし迷子になった。自分がどこにいるのかわからなくなった。ロカを膝に抱き、ぼんやり空間を漂う。気がつくとロカがフォークで空になった皿をつきさしていたりする。

 

 私には友人がいない。結婚して母親になるなんて思っていなかったので、それふうの友達をつくる準備が出来ていなかった。どっちにしても友達自体を作るのが苦手だった。人といて輪が流れてきたりしたら、私の視線は泳ぐだろう。精神状態を疑われる。

 

 ファミレスの食事だけをロカに食べさせるわけには行かない。メインの食事は要領よく作り、きちんとロカに食べさせる。その辺はロボットみたいな自分がいる。大した感情なくすべきことはする。はーい、大きなお口を開けて食べましょうねぇ~など言ってみるが、わざとらしい。

 

 何回でも言うが私はロカのことは愛している。夫の何倍も好きだ。愛している。だから、慣れぬ母親業もそれなりにこなす。

 

 ファミレスでコーヒーを飲む時間が私の至福の時間だ。もう以前惚れていた青い光の場所へは行けない。今の私には禁止区域。

 

 だから私は毎日オレンジの空間へ行く。

 

 毎日行くから、皆、私とロカの顔を覚えている。5、6件のファミレスが私の迷子になれる空間だ。コーヒーを口に運ぶ間、目をつぶってコーヒーを飲む時間だけ、私は宙を漂う。以前よく漂った宙を。以前はリカーを飲んでいたりしたので、無重力空間まで漂えそうな勢いだったが、今は椅子から数センチ浮き上がればいい方だ。足が軽くなればいいほうだ。

 

 シンプルな毎日の中でシュアなこと。私はロカを愛し、ファミレスを隠れ家としているということだ。

 

 けれど、そんなささやかな幸せは長くは続かなかった。ファミレス代が続かなかったのだ。仕方がない。1日に何軒も行けば金はなくなる。金は次第に財布の中で居心地悪そうに小さくなりそのうち探しても見えなくなった。青い光の中では豪快に数千円のカクテルを男に奢った日々もあったが、その日々は遙か遠く、点のように後退していた。小銭をかき集めてファミレスに行く日々も長くは続くまい。

 

 自分が悪いのに、夫にむかっときた。青い光の中で、横顔が美しく照らされていると勘違いし、つき合った。そこが間違いだったのだ。青い光が消えると残ったのは何のエフェクトもない男だった。悪人でもなくひどくまともな男だったし、私の方が人間の格として格段に低い。それはわかっていた。

 

 ロカを連れて家を出ることも考えた。ロカを預けて働くことも考えた。もともとは労働者とキャリアウーマンの真ん中より、少しキャリアウーマン側にいた私だ。晩婚、高齢出産だったが、杖をつくほどには体は衰えていない。

 

 どうしよう。

 

 私はコーヒーをすすって考えた。ファミレス行くのやめてくれるかな、せめて1日一軒にしてくれるかな、という夫のまっとうな今朝の言葉を思い出しながら。

 

 あ~~~~~~あ~~~。目をつぶったまま自然に声が出た。

 

 目を開けるとロカがパンケーキについていたパンダの目のグミを手でつぶして遊んでいた。

 

 パンダの耳を一つ食べて考えた。夫との生活を続けるべきか。

 

 パンダの耳をもう一つ食べて考えた。ファミレス生活におさらばし、家計を考えるまっとうな良妻になるべきか。

 

 どうにも結論は出そうになかった。

 

 青い光、ティール…の場所に戻りたかった。あの色は私の心象風景だ。けれど今はオレンジと茶色が私の居場所。そしてそこからも追い出される。

 

 もうファミレスを隠れ家にする日々も長くないと心が乱れたのか、いつもは少ないはずなのに、オレンジの空間をいくつもの輪が飛び始めた。

 

 決して触れない。私は決して触れない。輪には触れない。小4の時に決心した。ある日、つい輪を指にかけ、くるりと回しているうちに、するりと輪をくぐってしまった。狂気への入り口…。周りに異形のものが見え始めた。私は固まったまま、言葉を失い、何日も発語しなかった。親は、病院で脳のMRIを撮らせた。MRIには異常はなかったが、私は自分が狂気に満ちた人間だと感じていた。見てはいけないものが見える。

 

 私は今、サンクチュアリーから、禁止区に自分が入り込んだのを感じていた。慎重に選んだ青の空間からオレンジの空間に移動して長いというのに・・・。

 

 危ない・・・。

 

 目をぎゅっとつぶると体に小さな小さな圧迫に似た違和感を感じた。ハッと目を開け、周りを見る。

 

 輪だ。輪が私を通り抜けたのだ。

 

 ついさっきまで高校生のアルバイトに見えたコーヒーを注ぐ女の子は何かわからない動物の異形になっていた。

 

 ああああ…。私を絶望感が包み込む。

 

 膝の上のロカを見た。

 

 覚悟していた。ロカの姿も変わるかもしれないことを。けれどロカはロカだった。変化なくロカだった。私は体中の力が抜けた。ほっとした。ロカは私を見てニコッとしてパンダの目を口に入れた。

 

 そして彼女が現れた。

 

 

 

 

 

 あの時の出会いが私を変えた。あの時、あの日の出会いが私を救った。パニックと絶望と無力感に満ちた日々から私を救った。

 

 あの日、近づいてきたのは大柄な女の人だった。そして私と向かい合ってすわった。

 

 彼女はよく見ると、元は男の人のようだった。服装は女らしくとてもチャーミングで、何よりとても優しい表情をしていた。

 

「大丈夫。あなたのような人は他にも結構いるわ」

 

 彼女は私を静かに見つめた。

 

「あなたは狂ってなんかいないの。それどころか、とても意味深い存在なのよ」

 

 意味深い・・・。

 

 彼女は静かに説明を続けた。輪をくぐると、違った層…レイヤーで人や物が見れるようになること。そういう人をフェルルと言うこと。私は強力な力を持ったフェルルだということ。今までそれを抑えてこなければならなかったのは、とても可哀想なことだったわ、彼女は言った。自分の存在を説明してくれる、納得させてくれる存在がなかったということが本当に不運だったと。

 

「病院のような施設で一年過ごしました」

 

 私は言った。小学校4年生だった私は、精神科医に見えるものを紙に描いてごらん、と言われ、描き、描き、描き続けた。それから様々な薬を与えられ、ぼんやりと過ごした。吐き気や多大な食欲に悩まされたりもした。いきなり見えていたものが見えなくなっても変だろう、と私は少しずつ見えなくなった、と完璧な芝居をすることに終始した。同時に自分が何者なのか、自分の存在価値が見えなくなっていった。

 

 

 

 彼女はメイさんといった。彼女は輪はくぐれないが、クレイボイアント、透視者だった。そしてパワーの気配といったものを感じ取ることができた。

 

「あなたのパワーは強力だわ。何回かあなたを見かけたことがあってね、あなたは強力なフェルルだと感じたの」

 

 私は覚えている限りで、初めて、初めて希望を持った。自分は存在してもいいのだと、認めてくれる誰かがいる。

 

 メイさんの言葉を信じてみようと思った。青の空間、オレンジの空間のみならず、どの空間でも私は呼吸をしていいのだ。生きていていいのだ。

 

 私の目は熱くなったが、涙は出てこなかった。