天使の輪:ロコ

 

 天使の輪って見たことある?

 

 天使の輪っていっても、

 

 キューピットの頭の上のやつでも、天使の上のやつでもなくってね、

 

 輪だけがふわふわと空中に浮いてる、そんなやつ。

 

 突然現れたとき思ったんだ。

 

 わぉ 天使の輪だ……って。

 

 

  

 その頃私は小学校五年で、ケンタロウに恋をしていた。で、そのケンタロウに話したら、ガラスに明かりかなんかが映ったんだろ、って。

 

 ママに話したら、タバコの輪じゃないの、って。そして普段は吸わないママが、キッチンの上の高い棚からタバコを取り出して、ちょっと特別って感じで火をつけ大きく吸い込んだ。ママの口から生まれてくるいくつもの輪。

 

 それは確かにすごく見事な輪だったけれど、私が見たのとはまったくちがっていた。

 

 ちがう、ちがうよ。そんなに白くなくってモワモワもしてなくって、透き通ってて薄いんだ。

 

 そうなの? ママはじーっと私を見つめて息をはいた。ため息なのかな?って思った。ママはちょっと悲しそうな、それでいて悟り切ったような不思議な顔をしていた。

 

 

 

 それからも天使の輪はときどき私の前に現れた。ねえ、見て見て! いくら言ってもほかの誰にも見えなかった。

 

 あるときふと思った。あ、前にも見たことある、ずっと前にもって 

 

 でもそれって

 

 いつだろ、

 

 いつだろ、

 

 いつだった?

 

 目をつぶると時間の中を逆戻り。いつまで戻ればいいんだろ。記憶のぎりぎりのはしっこまで。もう少しで忘却のかなた?とかに落っこちそうなぎりぎりのとこで、あの輪のようにふわふわしてる、そんな記憶。

 

 うん、あった。あったよ、確かにそんなこと。

 

 天使の輪がふわーんと流れてきたんだ。しゃぼん玉みたいに。

 

 何だろ、って思ってたら、まさに目の前でとまった。手を伸ばせば届くくらいのところで。

 

 そのとき、触ったのかな。

 

 うん、触った。そして……

 

 泣いた? そう、泣いた、泣いたんだ。何かに驚いて泣いたんだ。

 

 でも

 

 いったい

 

 何に

 

 驚いたんだ。

 

 

 

                                      名前の由来

 

 

 私はひろこ。漢字では洋子。あだ名はロコ。

 

 自分の名前が好きだ。私にとって、ひろこ、のひろは青い広がり、美しい広がりだ。広がりは海であり、晴れた日の空でもある。無限の可能性だ。

 

 名づけたのはパパだよ、ママは言った。

 

 パパのこと、ママは話したがらない。でも、名づけたのはあなたのパパよ、というときのママの口調は、パ・パ という音の響きのとおり弾けてカラッとしている。

 

 パパはね、迷いなく、ひろこって名づけたの。初めてママからそう聞いたとき、私はまだ保育園の年少さんくらいだったんじゃないかな。

 

 パパのことを思うとき、なぜかママの親戚の家に行ったときの情景を思い出す。

 

 風に揺れる穂。長く伸びた雑草。細長い葉の間をぴょんぴょん飛ぶ虫たち。バナナ虫におんぶバッタ。猫もゆったりと土の上を歩く。

 

 それはミズキおばさんが亡くなってしばらくしてからで、お線香をあげに行ったときのことだった。ミズキおばさんはママの遠い親戚らしい。それはパパが姿を消してしまうちょっと前で、パパもそのときは一緒に行った。

 

 ママのアルバムにはミズキおばさんの写真が一枚ある。ママの横の太った短髪の人がミズキおばさんだ。体型は違っても、どこか顔がママと似ている。似てはいるけど、ひまわりとつゆ草、くらいの違いがある。似てるのにすごく違うっていうのは、物によって面白いときと悲しいときとあるけど、ママとミズキおばさんの場合はどっちだろう。底抜けに明るそうなミズキおばさんの横でママは無表情で、ちょっと悲しげに見える。

 

 そのひまわりのはずのミズキおばさんは、川に落ちて死んだ。滑って落ちた事故だってことになっているけれど、どうやら自殺らしい。シツレンだという。聞いたときは「失礼」と「失恋」の違いすらわからなかったけど、何年か経って、死にたくなるようなら恋なんてしない方がいいよねってママに言った。ママはそうね、とだけ言い、静かに首を振った。

 

 

 パパのことを思うとき、縁側にすわっている自分がいる。

 

 細かいとこははっきりしてなくて、私は赤と白のチェックのワンピースを着ているんだけど、ここが嘘っぽく完全に起こったこととはいえないゆえんだ。私の小さい頃の写真は一枚を除いて(それがお出かけのときの赤白チェックのワンピースなのだけど)いつもいかにも運動しやすそうな半ズボンにTシャツかトレーナーを着ている。だから、ひどくのどかな田舎の家らしき場所にいる私がよそいきの赤白チェックのワンピースを着てるはずがないと思うのだ。

 

 ただそのときのことを思うとき、確かなことが一つだけある。

 

 それは、私が幸せだったってことだ。とてつもなく幸せだったってことだ。ハッピー!てなそのへんにごろごろしてるTシャツみたいじゃなくって、きちんと漢字で書いた幸せだ。

 

 小さい子には小さいなりにいろんな悩みがある。ポケットに入れてたテントウムシがいなくなったとか、追いかけていたカエルを見失ったとか、最後に食べようと大切にとっておいたクッキーを落としてしまったとか、真剣な悩みで満ちていて息づくひまもない。

 

 けれど、パパといた、あのときの私は悩みなんか一つもなく幸せな気持ちで満たされていた、そんな気がする。いや、断言できる。そうだ、あのとき私は縁側にすわり、足をぶらぶらさせてとっても幸せだったんだ。

 

 そのとき誰かが言う。

 

「ひろちゃんのひろは海ってことなんだよ。だからさぁ、ひろちゃんは海のように大きくなるのよ」

 

 横でパパが微笑んでいる。パパの顔も覚えてないのに、パパのことはほとんど何一つ覚えてないって言えるくらいなのに、パパが微笑んでいたのは覚えている。不思議だな。そして私はその笑顔に、歌いだす。

 

 海はひろい~~な~~~おおき~い~なぁぁぁ~~

 

 ひろこだから、海は広いな、なのだと思い、歌いだすのだ。

 

 その時、パパが膝の上に抱き上げ言うんだ。ひろこのひろはただのひろじゃないぞ、~~~~~~~~~~~~~~。

 

 ただのひろじゃないぞ、のあとに続いていたパパの言葉は、長い間ほにゃほにゃほにゃのままだった。

 

 ひろこの洋が、太平洋の洋、大西洋の洋だって知ったとき、あ……………って思った。まさに、あ……………って感じだった。

 

 それまで、ロコって呼ばれてたりしてなんだかコロコロした名前だなって思ってたんだけどおーい、ひろこぉって男の子が呼ぶと、だだっぴろい感じだなって思ってたんだけどそのとき、ひろこってすごい名前なんだって思った。ほんとにほんとにすごくすてきな名前なんだって。

 

 そのとき、私、パパの存在を改めて感じたのかもしれない。だから、洋子ってつけてくれたパパの気持ちがわかるようで、とってもあたたかい気持ちになって、パパ、あなたはほとんどわたしの記憶にない父親ですが、ずっとパパってよんでいきますね。父ではなく、わたしの心の中ではパパって

 

 あらたまって言ってみたのは、誓います、の意味があったんだと思う。

 

 私は名前でパパとつながってる。そう思うと、パパに会いたくなった。記憶にもない父親にじゃなくって、名前をつけてくれたパパにだ。

 

 パパのことは好きだったと思う。顔も、声も、何にも覚えていないけど、好きだったと思う。きっと、顔も声も何もかも好きだったと思う。

 

 パパのことを思うとき、唯一思い出すのは、あの縁側で膝にのせてもらったあたたかさで、だから、パパのことを思うとき、心があたたかい。

 

 あたたかいけれど、さびしい。あたたかさが消えてしまったことがさびしい。

 

 私は子供だから、さびしさはそれ以上どこにも進まない。大人が言うような憎しみや恨みってのにも進まない。さびしさはさびしさで止まって足踏みしている。

 

 もっともっとパパのことを考えたいって思うことがあったけれど、考えないようにした。さびしさが水だったら、一滴一滴がたまり、大きな池になってしまうし、さびしさが雪だったとしたら、粉雪だったとしても積もって大雪となる。さびしさに溺れたり、埋もれたりしたくないから、パパのことを思い出そうとする私を、もう一人の私が追い払う。

 

 でも、いつか会いに行こうと決心している。生きてるうちにって。ミズキおばさんが死んで、川に落ちただけで死ぬんだって知って、すべきことは生きてるうちにって、思ったんだ。

 

 

                                      伝えたいこと  の 始まり

 

 

 私は誰かに伝えたい。私に起きた出来事で一番大切っていうか、意味あることを伝えたい。

 

 でも、その誰かって誰なんだ。

 

 それは、心優しき人。子供だって大人だっていい。心優しき人に語りたい。

 

 見かけも悪けりゃ、態度も悪くって、間違っても近くに寄りたくない人。でも案外、そういう人が心に自分でも気づかないうちに優しさのかたまり持ってたりする。もう糸がからまるみたいにぐねぐねごてごてにかたまって、一体自分でもそれが何だかわかんなくて…でもふとしたとき、そのかたまりが熱くなったり、ぐらぐら揺れたり、自分で自分の気持ち、持て余すっていうのかな、そういうの。

 

 ケンタロウだったら、そんなセイゼンセツばかり信じてちゃいけないよって言うだろうな。

 

 でも別に生まれながら心が善くなくたっていいと思う。性悪だから、心がドロドロでワルッチイ人間だから、もし、優しさのかたまりが、怒って握り締めた綿アメみたいに小さく小さくなってたとしても、優しさの種みたいなものがあったら、そして何かをきっかけにそれが心を熱くしたら、熱くできるんだったら、そのときだけでも心優しき人なんだよ、きっとその人は。

 

 それって、やっぱ性善説だよ、ってケンタロウなら言うだろうな。口を尖らせて。

 

 だから、もし機会があったら私の話を聞いてほしい。天使の輪から始まった私の話を。信じてもらえないかもしれないけど、心優しき人ならわかってくれる、そう感じるんだ。