小石とホークアイ:ゴールディ

 

 どこが気に入ったのかわからない。気がつくと目で追っていた。フィールドで活躍するような躍動美があるわけでもなく、特に機転がきいたり詩心があるわけでもなかったが、気がつくと目で追っていた。彼はどことなくぼーっとしていて背だけはクラスで2番目に高かったが、口数が少なく、目立たなかった。

 

 リリーに言っても、「ま、気になるってのは人様々なわけだし」という答えが返ってきただけで、「あんた、あいつに惚れたんじゃない」とは言わなかった。

 

 どこにでもある顔立ちのどこにでもある容貌のどこにでもいる男の子。スポーツも出来ないわけではないが、特に際立ってできる種目があるわけでもなく、クラスでもあてられればそれなりに答えたり、それなりに答えられなかったり

 

 気になったきっかけは何よ、と誰かに聞かれたけれど、答えられなかった。説明するのは難しいけれど、父に小石セットを買ってもらった日のことを話せたら、なんとなくわかってもらえる、そんな気がした。

 

 

 

 

 小さいころ父が買ってくれた小石セット。透明な箱に綺麗な石が詰まっていて、2ドル99セント。金物屋さんの店先に置いてあった。「ジェシーが持ってきたから置いてるけど、一つも売れやしないのよ」 スージーが言った。スーザンとどこにでもある名前をつけられたスージーに、私はある種の親しみを持っていた。けれど、いつも店番をしているどこか疲れたスージーと自分が将来同じようになるのが恐かった。そして恐れるたび、なぜか洗濯を重ね色落ちし、袖口がのびきったTシャツを思った。

 

 スージーの話を聞いた父が、私と同じ目線になるように長い足を曲げてしゃがみこみ、聞いた。

 

「ほしいかい?」

 

 私は状況から、目を輝かせ、「うん、ほしい!」と言ったほうがいいのだと思った。ガラスは好きで、小さなペガサスや小さなガラスの靴は私の宝物だったけれど、きれいな石も一つ二つ見えるが、どうにも普通の石ころにしか見えないのが多数混ざっているその詰め合わせを買うより、2ドル99セントあれば、すぐ角のジャメインおじさんのダイナでレインボーパフェが食べれるのに、と思った。

 

「ほしいだろ?」

 

 父が聞き、私は「うん」とうなづいた。父の目の色は本人も母も言っている平凡な色ではなく、とても素敵な色だと思った。ヘイゼルというどこにでもある色だけど、父の眼の色はそのときそのときでいろんな色に見えた。随分あとになって、13才のときに亡くなった父のことをいやというほど思い出し、悲しんだときに気がついた。父の目の色に、私は自分の気持ちを見ていたのだと。

 

 でくのぼう喧嘩すると母はそう呼んだけれど、父は寡黙で言葉が少ないだけで、いつも優しさに満ちていた。

 

 あの日は、スージーの店に寄ったあと、家からさほど遠くないピザ屋で父と二人で夕食を食べた。そして少しだけビールを飲んだ父と車でではなく歩いて帰った。

 

 隣町で遊園地帰りの親子が父親の酒酔い運転で亡くなった、という記事を読んだばかりだったのも父が歩こうと決めた理由の一つだった。亡くなったのは3才と5才の子で、生まれたばかりの子は、家で母親と留守番をしていて助かった。

 

 奥さんのことを母はしきりに同情した。父は母が女友達との集まりの時、よく私を連れてジョージのピザ屋で外食をしたのだけれど、その日はジョージが試しに仕入れた地元のビールをただで常連客に味見かたがた配っていたので、車の時は飲まない父もグラス半杯飲んでしまったのだ。帰るときになり車のキーを回した時、「母さんはまだ帰ってないだろうな」とつぶやいた父は、母との会話とその事故のことを思い出し、さほど遠くじゃないし、風の気持ちよい日だったし、私の手を引いて歩いて帰るのも悪くない、と思ったようだった。

 

 街灯の真下に来ると影はひどく短いのに、離れるにつれ、どんどん長くなるのが面白かった。

 

 父が「茶色」と言うと、黄色くも赤くも緑でもない秋の葉っぱ、「赤」と言うと、ピンクでもオレンジでもないママの口紅、というふうに形容をできるだけたくさんつけて答える、というゲームをしながら歩いた。

 

 パトカーがゆっくり来て横に止まったとき、私は、父の「緑」に対して、赤でも黄色でもだいだいでもないパプリカ、と答えているところだった。全てが否定の形容詞でなくても、たとえば黄色だったら「野原一面に広がってお日様を受けているヒマワリ」でもいいんだよ、そんなことを父が言っていたと思う。

 

 後で知ったのだけど、警官は、5マイルほど離れたところで、6フィート2インチの男が5才の女の子を誘拐したという無線をキャッチして、長身の男と女の子が二人歩いているところを声をかけたのだった。

 

 父は6フィート1インチで私は8才だったけれど、小さくていつも2才は下に見られたので、警官の行為も当然といえば当然だった。

 

 そのときのことを私は何度もドラマのように思いだした。ほんとうにそっくりだったか自信はないが、警官の顔もしばらく経つと再放送のスタスキー&ハッチにときおりゲスト出演した真面目すぎるなんとかという俳優の顔と一致した。

 

 私は母似で父にはあまり似たところがなかった。4分の3は東洋系という母の顔のフィーチャーを継いでいたが、髪の色の薄いところは父似だった。母は社交的で男友達もたくさんいたので、成長してから私は、父は私を自分の子ではないのではないかと疑ったことはないのだろうか、と思ったりしたが、警官も私たちが親子に見えなかったからか、にこりともせず聞いてきた。

 

「娘さんですか」

 

 父はうなづいた。警官は私を見て、父を見て、もう一度私を見た。私は恐怖で固まった顔をしていたと思う。家の近くの文房具屋でどうにもほしかった天使のついたシールを一枚、手のひらにくっつけてそのまま店の外に出てポケットに隠したことがあったのが、どうにも気になっていた。数カ月は経っていたと思うが、泥棒と言われ捕まるのではないかと、体を緊張で固くした。

 

「身分証明書は持っていますか?」

 

 父はポケットを探った。どうやら財布をピザ屋の前にとめた車の中に置き忘れたらしい。

 

「娘さんですか?」

 

 もう一度聞いた警官に私はますます緊張して体を固くした。警官はどうやら知らない男に手を引かれ、恐怖で固まっていたと思ったようで、父の方を警戒しながら、私の安全を確保しようとした。

 

 私は捕まると思い、「パパ! パパ! パパ! パパ!」と夢中で父にしがみついた。短い手と足でまるでコアラが木にしがみつくように。

 

 それをしばらく見ていたが、やがて間違いに気がついた警官に笑みが広がった。

 

「驚かせたみたいですね。お嬢ちゃん、パパとお出かけだったんだね」

 

 私はこっくりした。

 

「おわびに家までお送りしましょうか?」

 

「いや、すぐそこが家ですから」

 

 父は新築したドルトン家の陰に隠れて見えない我が家を指した。

 

「こんな優しいお父さんを変な人と勘違いしちゃったみたいだね。お嬢ちゃん、ごめんね」

 

 私は、涙に濡れた目でうなづいた。

 

「そう言えばお父さん、ケビン・コスナーに似てますね。この前、彼が悪者演じた映画を見ましたよ。ケーブルテレビで。男の子を誘拐する犯罪者の役なんですよ。彼に悪人は似合いませんよね。Dances with wolvesの役なんかよかったですけどね。ネイティヴアメリカンの気持ちのわかる白人って実世界でも映画でも滅多にいませんからね」

 

 男はそう言い、父をじっと見た。父は優しげにうなづいた。

 

「私の母はナバホ族の血が入ってるんですよ。で、私のミドルネームはホークアイっていうんです」

 

「いい名ですねえ」

 

 いつもは感情を表さずボソッと話す父が心から感心したように言った。「ホークアイですかぁ

 

 しばらく、父とホークアイは口元に笑みを浮かべながら、軽くうなづきあっていた。

 

「お騒がせしました!」

 

 警官はきっぱりと言い、大きな口を開け、白い歯を見せて笑った。確かにホークアイというミドルネームが似合いそうな精悍で感じのいい人に変身していた。

 

 短時間のうちに自分を檻に閉じ込めるモンスターような恐い存在からホークアイという名のよき青年になった男に、私は敬礼の真似ごとをするという、いつもだったら考えられないことまでやってみせた。

 

 

 

 父と私、二人でいるといつも時間はゆったりと温かく流れていき、事件という事件もなかったから、その日のホークアイの出来ごとはとても大きなものになった。

 

 あとになってホークアイが言っていた映画を見た。そのパーフェクトワールドという映画の中でケビン・コスナーはとても優しげな悪人だった。

 

 映画の中のケビン・コスナーはそれほど目の表情があるとは思えなかったし、普段の父もそうだったと思う。ただ内向的だった私と同じレベルに立ち、父はいつも言葉ではなく目で語りかけてくれた。人が見ると無表情にも見える父の瞳に私は自分の心を反映させていた。そんなことができるのは父に対してだけだった。

 

 ホークアイがパトカーで去っていったあと、父に手を引かれながら、スージーが茶色の紙袋に入れてくれた小石セットを出して、シャッシャッと振ってみた。すると八分目入っていたボックスの石は少し動き、隠れていたきれいな石が姿を現した。私は嬉しくなってさっきより強くジャッ!ジャッ!と振ってみた。

 

 ザッ! ジャー! いやな音がして石が飛び散った。蓋を押さえていたテープがはずれ、石が飛び散ったのだ。ボックスには数個残っているだけであとは道路と芝生に飛び散った。

 

 私は火がついたように泣きだした。もともとそんなに欲しくて買ってもらったものではなかったが、大切な大切なものがすべてバラバラになったようななんともいえぬ悲しさが私を襲ってきた。

 

「大丈夫だよ」 父はしゃがみこみ、私を膝にすわらせ、「よくあることさ、小石がばちんと目にあたったり、鼻の穴に飛び込んだりするより、ずっといいだろ」

 

 穏やかに少しだけいたずらっぽく言った。

 

 私はしゃくりあげながら「どうやって集めたらいいの?」と聞いた。

 

「きれいだな、ほしいなっていうのだけ集め直せばいいんだよ」

 

 私は泣くのを止めた。鼻水だけは出るのがしばらく止まらなかったけれど、地面に落ちた石を集め始めた。

 

「もともと入ってたかな、じゃなくて、自分が欲しいのを集めたらいいんだよ。そうすれば、たとえこのボックスの半分しか集まらなくても気にならないからね」

 

 私は父の言葉を何度も頭の中で繰り返しながらボックス半分強集めた。

 

「これは案外最初は入ってなかったのかもしれないな」

 

 父がそう言って私の手のひらにのせてくれた一つの石。どこにでもありそうな石。ところどころ銀色に光っている。きれいといえばきれい。でもとてもありきたり。

 

 ありきたり。その気持ちを読んだように父が言った。

 

「この石はとってもスペシャルなんだよ。なぜかわかるかい? なぜならパパがゴールディのために拾ってゴールディの手にのせるからだよ」

 

 その石を手にのせてもらいながら、私はおぼろげながらとても大切なことに気づいたのだと思う。大切なのは一つ一つの物ではなくそれに意味づけする人の存在。

 

 その石は父の優しさの象徴になった。

 

 

 

 

 高校時代、その青年に興味を持ったのは父と同じくらいの身長で同じヘイゼルの眼を持っていたからかもしれない。寡黙で動作が穏やかで背が高い。確かに父と似ていたが、後になってみるとただそれだけのことだった。

 

 彼の無風を思わせる存在がどこかノスタルジックだった。彼は周りが喧騒としてもいても無風で穏やかに見えた。

 

 けれど彼とのつき合いはひどく短かった。私はやはり彼の中に父を見ていたのだ。気づかぬうちに。無風なはずの彼はしばらくして他の子に心を移し、迅速に積極的に行動し、私の前から去っていった。そのときばかりは風のごとく。私は唖然としたが、私にとって彼はスペシャルではなく、彼にとっても私はスペシャルではなかった、それだけのことだった。

 

 あれから随分時が経った。今、私にはわかる。あの小石の日の父に象徴される存在がなくなったことがずっと、ずっと、ずっと寂しかったのだと。そんな存在は父一人しかいないはずなのに、その存在を求めるがあまり、周りの人の中に父の面影を探していた。

 

 結局私は父とは全く違ったタイプの男たちと付き合っては別れた。

 

 そして父に似た相手を探すなど無駄なことだと気がついた。なぜなら父は私の心の中に場所を見つけ、温かい存在として生き始めていたから。他に無理して父と同じ存在を探す必要がなくなっていた。

 

 けれど今でもつらいことがあるたび、あの日、父の横で小石をジャッジャッと振っていた自分に戻る。するとどうしようもなく懐かしく、心がゆっくりと揺れ始める。