無人島とキノコ

 

 

 僕はキノコは嫌いだ。

 

 コトダくんは言った。

 

 地方民話に伝わる呪いの話の取材で出雲に来ていたときのことだ。コトダくんはスパゲティの中のナメコらしいキノコをフォークで突き刺しながら言った。

 

 こんな話、どうかな。無人島に三人の親子が流れつくんだ。三人、最初は結構楽天的でね。食べ物になる実とかないかしらねって優しげなお母さんが言うと、二人の娘もそうだね、いいねって感じで探し始めるんだ。

 

 娘っていくつくらい?

 

 子供じゃないけど、大人じゃない感じだね。

 

 コトダくんはそう言って僕をちらっと見た。上目づかいに。自分の思考を邪魔されたくないときの彼は大抵こんな感じだ。

 

 けれどしばらくすると楽天的な気持ちも暗くなる。だっていくら探しても食べ物なんてないわけだからね。三人はお腹が空いてふらふらになって海岸に坐り込むんだ。枝のようなもので砂にくるくる絵を描いたり、突き刺したりしてみたりもする。以前、海岸に行ったとき蟹や貝みたいなのが出てきたのを下の娘の方は覚えてるんだ。でもこの島にはそんなのが一匹もいないみたいだ。どこまでくるくる線を描いたり突き刺したりしてみても蟹も虫も貝も出てくる気配も潜んでる気配もない。

 

 そこでお母さんは大きなため息をつく。お母さんはとても我慢強く優しい人だけど、そのときのお母さんのため息は大きくて、娘二人もなんだか絶望的な気持ちになるんだ。

 

 お腹は空いているしね。

 

 そう、水分をとれそうな植物もないし、タンパク源の動物も虫もいない。あるのは塩水だけなんだ。なんとか蒸留装置ってのを作ってみてね。蒸留された水はそこそこいけたね。けれど水だけでやっていける日数ってしれてる。三人はだんだん危機感に包まれていくんだ。

 

 ねえコトダくん、その話ってどう展開するのかな。

 

 僕は次の取材場所に行かなければならないので、少し焦ったように言ってみた。

 

 ここでナマコ、いや、ナメコが登場するのさ。ナメコって茸だよね。ナマコはシーキューカンバーって生き物だよね。

 

 うん。

 

 じゃ、ナメコだ。別にナメコじゃなくてもいい。ま、要するにキノコってことだ。

 

 一週間が経ち、三人から生気が失われるんじゃないかってぎりぎりのとき、「見て!」ってお母さんが言うんだ。

 

 けっこう、かなり明るい声でね。驚きはあるけれどなんだか嬉しそうな声なんだ。見るとお母さんの足や腕、特に日によくやけているところに茸が生えてるんだ。

 

 椎茸みたいな大きな茸じゃない。けれどぎっしりと腕や足に栽培してるみたいに小さなしめじのような茸が生えているんだ。そしてそれは見ている間にも少しずつ大きくなっていくように見えるんだよ。

 

 そこでお母さんはナメコに似ている、いやナメコとシメジの間のような茸を一本そっと抜こうとする。痛いのかなって思うけど全然痛くないんだ。お母さんは自分でそれを食べてみる。すると結構おいしいんだ。キノコっていうより自然の恵みを凝縮したような味で、特に苦かったり、匂いが強いわけじゃないんだ。

 

 お母さんは生えているキノコを全部抜く。すると抜いたあとはすーっと薄い皮膚の膜ができて傷にならないんだ。すごいだろ。

 

 う、うん。そうだね。

 

 そこで大きな長細い葉の上に三等分にしたキノコをのせて娘たちに渡す。食べてごらんって。娘たちは最初おそるおそる食べ始めるんだけど、一口食べたらもう止まらない。数秒で食べ尽くしてしまうんだ。すると弱っていた心と体がエネルギーで満たされてていくのを感じるんだ。

 

 それからしばらくは空腹も感じないんだけれど、やがてまたお腹が空いてくる。するとお母さんの皮膚にまたキノコが生えてくるんだ。わ~~すごい。娘は喜ぶ。

 

 不思議なことにキノコが生えるのはお母さんだけで、娘たちも何度も自分の腕や足を見たりこすったりするんだけど、生える気配はない。お腹が空くとお母さんにキノコが生え、それを三等分して食べる、この繰り返しさ。

 

 そんなことを繰り返して、島での生活にもそこそこ慣れたころ、妹の方が気がつく。一緒にいるお母さんが何だか小さくなったんじゃないかって。病気だとか痩せたとかじゃなくって、全体的に少し縮んだような気がするんだ。隣の姉と比べて見ると、母の顔の方が大きかったはずなのに、姉の方が大きい。母と姉はほとんど同じ背だったはずなのに、母の方が5、6センチ低く見える。

  

 妹が姉に言うと、姉もどきりとしたようで、やっぱりそう思う?と不安げに言うんだ。

 

 私たちが食べちゃってるからかな。お母さんの体に生えるキノコを。

 

 うん、きっとそうだと思う。

 

 で、次の日、大きな葉っぱに自分に生えたキノコを三等分に分けているお母さんに娘たちは言う。もう、食べるのやめる。だって、だって…。

 

 なあに? お母さんは優しく聞く。その顔は確かに小さくなっている。三等分に分ける手も指も、以前より明らかに小さい。

 

 だって、お母さんが小さくなるんだもの。

 

 大丈夫よぉ。お母さんは明るく笑う。

 

 食べないって言ってもお腹がすごくすごく空いて、結局娘たちはまた食べてしまう。

 

 お母さんは次第に小さくなっていく。

 

 ある夜、三人並んで横になっていると、妹が姉に言う。小声で母親に聞こえないように。

 

 ねえ、あたし恐いんだ。

 

 お母さんが小さくなっていなくなっちゃうこと?

 

 うん…。すごく恐い。でもお母さんがいなくなったら食べ物がなくなることも恐い。

 

 姉はどきっとする。昔から正直な子だったけれど、お母さんと食べ物が一体化しつつあることを妹は隠そうとしない。でも、姉もすごく恐かったんだ。自分の心の井戸を見るのが恐かったんだ。

 

 で、二人のそばでは小さくなった母親が寝息をたてていてね。寝息も以前より小さくなったようなんだよ。

 

 二人の娘は自分たちが、不安なのか、悲しいのか、恐いのかわからぬまま、小さくなった母親の小さくなった寝息を聞いているんだ。どう、ボルゾイさん。どう思う、こんな話。

 

 ちょっと、どう言うか…。

 

 奇妙?

 

 うん。

 

 不気味?

 

 うん。

 

 リアリスティック?

 

 いや、ちょっと違うかな。

 

 とにかく、僕はキノコは嫌いだな。

 

 コトダくんはそう言って、ナメコをフォークで突き刺しては、皿の端に寄せた。どうやら、無人島での三人の話はそれで終わったようだった。