「ハーヴィって知ってる?」

 

  僕の問いに、コトダくんはいつものように首を5度傾け、1mほど先の空間を見つめて5秒考えた。いや、7、8秒だったかもしれない。

 

「知らないね。南やしき町にあるカフェがその名だし、ハーヴィ・カイテルって俳優がいるけど、彼のことじゃないよね」

 

  コトダくんは瞬きをせずにじっと僕を見つめた。コトダくんの視線には悪意がないので、じっと見つめられるのにもすっかり慣れた。

 

  コトダくんは僕の両目を同時に見つめようとする。まるで左目で左目、右目で右目、いや左目で右目、右目で左目かな。なんとなくクロスしているように焦点を合わせてじっと見る。実際はそんな器用なことはコトダくんといえどもできないわけだから、コトダくんが見つめる点は一点だけど、見つめようとするのは両目のわけだから、僕は時々ギュウっと両目が真ん中に寄せられているような気分になる。

 

  一つ目の人とならコトダくんはもっと話しやすいのかもしれない。

 

  素のコトダくん(素コトダ)の見つめ方が慣れない人を落ち着かなくさせる。 彼と話すと、なんだか目の奥が熱くなるんだよな、と言った者がいるが、わかる気がする。

 

 

 

  とにかくコトダくんはハーヴィという名作を知らないようだった。

 

「ジェームス・スチュワートの映画でね、これがちょっと面白い映画なんだ」

 

「ボルゾイさんが言うなら、いわゆるジェームズ・スチュワートの正統派大バジェットムービーってわけじゃないんだろうね。長身で細身、素朴なアメリカの良心を持つ男が、少しずつ悩みながら世の中を変えるってそういう映画とちょっと違うわけだよね」

 

 「そうだね、正統派良心の男じゃないけど、もちろん悪人でもない。彼の西部劇は見ていないけれど、彼が癖のある悪人というのはあり得ない」

 

 「そうだね。あり得ない。うん、あり得ない」

 

  コトダくんも二回しっかり繰り返した。そのあと頭の中で何度もエコーさせているようだった。コトダくんは時には三度も四度も繰り返す。

 

「確かにハーヴィの中のエドウッドって人物はくせはあるけど、悪人とはほど遠いな」

 

  コトダくんはふーん、とたいして興味なさそうに言う。

 

  そこまで話したがところで、コトダくんはヤズミさんに呼び出された。コトダくんは大好きなベーグルを三分の一以上残していたので、顔が少し硬くなって怒って見えたが、実際にはコトダくんは怒ってなんかはいなかった。ちょっとベーグルが心残りだっただけだ。とにかく、その日はそこで話が終った。

 

 

 

  それから八日間コトダくんと会わなかった。九日目に会ったとき、コトダくんは言った。

 

「ハーヴィを見たよ。ハーヴィって大ウサギのプーカの名前だったんだ」

 

  オンラインでなく、きちんとDVDを借りて見たという。

 

「おかしな点もいっぱいあるけど、面白いね」

 

  最初のところを無視すればいいのに聞いてしまった。

 

「おかしな点って?」

 

「まず、あんなに感じのいい酔っ払いって絶対いないね」

 

  それは確かだ。

 

  映画の中のジェームズ・スチュワートは、エドウッド・ダウドというのだが、一日のほとんどはチャーリーというバーで過ごしている。しかし、いつも帽子を持ち、ベストつきのスーツを着ている。ジェントルマン然としているのだ。

 

「もともと話し方が特徴的で、特に語尾がどろーんて感じだけど、酔っ払っている時も感じいいからしらふの時との話し方にあんまり違いを感じない」

 

「確かに…」

 

「そして記憶もいい。プーカが見える他はおかしいところがない。言うこともまっとうだ」

 

  確かに…。

 

  エドウッドは42歳の設定でいつしか自分と同じ背丈の大ウサギのプーカが見えるようになったのだ。

 

「プーカってなんかトトロに似てない?」

 

「でも、プーカって画面上には出てこないよな」

 

「確かに。でも僕の頭の中のプーカはトトロに似てる。笑顔がかわいい大ウサギって感じだと思う。プーカってさ、彼の守護神なんだよね。自分と同じ身長のウサギの守護神っていいよね」

 

「うん」

 

   僕はいいのかなって少し考えた。同じ身長ならウサギでなくてもいい気がした。

 

「ボルゾイさんのプーカって何?」

 

「なんだろ。考えたこともないな。自分の守護神か」

 

「うん」

 

「コトダくんのは何?」

 

「なんだろな。なんだろっていうより、何だったら嬉しいかなあ。ボルゾイさんはやっぱ、ボルゾイ犬?」

 

「いや、ボルゾイ犬はちょっと間が抜けてるよな」

 

「いやだな、ボルゾイさん。自分のニックネームのことあんまり知らないんだ。ボルゾイ犬ってのはとっても優れた犬なんだよ。猟犬でさ、足も早い。優しい。俊敏だ。ロシアの貴族に飼われてたんだ。ま、だからってどうってことはないけどね。ちょっとエキゾチック。ま、だからってどうってことないけどね。ボルゾイさん、あれじゃない? ボルゾイさんがちょっと間が抜けてるからってボルゾイ犬が間が抜けてるって思ってない?」

 

「僕、やっぱり抜けてるかな」

 

「なんとなくね。抜けまくりってほどじゃないけどね」

 

「ハスキー犬かなんかのほうがかっこいいよな」

 

「いや、全然。ダメだよ、ボルゾイさん。プーカは自分を反映してなくちゃ。どこか自分に似てるのがいいよ。全く似通ってないものに守ってもらっても、どっか居心地悪いよね。自分の一部から生まれたものだと思えれば、自分が自分を守ってる感じになれるよね」

 

「じゃ、ちょっと凄みのあるボルゾイ犬。それでいいや」

 

「普通のボルゾイ犬でいいんじゃない」

 

「ま、それでいいや。じゃ、コトダくんは何にする?パンダか何か?」

 

  コトダくんが困ったとき、目が下がり、少しだけパンダみたいだと思ったことがあるのを思い出しながら言った。

 

「いや、僕は白鳥にするよ」

 

「な、なんで…?」

 

「好きだからだよ」

 

  コトダくんはニカっと笑った。