マイファミリー

 

 今からだいぶん前の話である。随分前なのか、まあまあ前なのか、かなり前なのか、人によって受ける印象は違うと思う。

 

 電車に乗っているとする。すぐ横の景色が現在、前方方向が近い未来だとしたら、これはかなり前に過ぎ去っていき、遠くにしか見えない景色…そのくらい前の話だと思ってほしい。

 

 そのころは、ネットでの語学学習もなかったし、ケーブルテレビなどで世界中の番組見放題なんて考えてもみなかった。そんな時代なので、外国語を学びたい者は、特にスピーキングが学びたければ語学スクールに行くしかなかった。

 

 語学スクールもぴんからきりまであった。

 

 私は正式名はかなり長い語学スクールに勤めていた。ニックネームはレインボースクールだ。英語のレインボーの多様な意味を経営者山崎氏が知っていたとは思えないが、山崎氏は虹が好きで、小さな間口の狭いビルの壁面に虹を描かせた。できるだけ大きく。それで界隈の者はああ、あのレインボースクールね、とニックネームで呼んだ。

 

 山崎氏は私たち講師を前に語った。レインボーは素晴らしい、どの色も輝いているときもあれば、ある色はほとんど消えて見えることもある、またある色だけ輝いて見えることもあるし、消えていったあとも心に余韻を残してくれる、と。

 

 私がその当時出会った人々について語ってみたいと思ったとき、その虹の話を一番に思い出した。私は虹の一色を担っていた、そんな人たちについて語ってみたいと思った。その頃の自分に戻って語ってみたいと。

 

 何篇になるかわからないが、一篇ずつ。

 

 でもその前にまずは私の家族について書こう。

 

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 母はどちらかといえば厳しいタイプ。英語でいえばstrictだ。何に厳しいのかと言えば、自分の規範に厳しい。自分の考えを自分の子に押し付けるのに厳しかった。 

 

 父はどちらかと言えば軟弱なタイプ。英語で言えばwimpだ。よく言えば優しい、で悪く言えば、自分の規範を持っていない、だ。

 

 strictな人間とwimpな人間が住めば、そこはstrictな雰囲気に染まる。なぜなら、wimpな人間にはstrictな人間を受け入れるソフトさがあるが、strictな人間はwimpな人間のいい加減さが我慢できないからだ。だから、5年ほど前に母が病気をして気が弱くなるまで、家の雰囲気はひどくstrictだった。

 

 strictが、母の形容詞だと知った私は、おかげで早くstrict が使いこなせるようになった。あたしのママはとってもstrictよ、という具合にだ。一人暮らしを始めるまで、strictな家庭というのはどうにもうっとおしかった。

 

 母は綺麗だった。がっちりしてて肩幅が広かったが、とても綺麗な人だった。コケティッシュとかラブリーなんて言葉は似合わなかったが、綺麗という言葉は似合っていた。

 

 最近の母は、かなり肉がついている。それも母に似合ったきっちりした肉のつき方で、何層にもしっかり肉が敷き詰められていく感じだ。太り始めてから、もともと毛深かった母は、髭をそるのをやめた。依頼、綺麗という言葉が似合わなくなった。

 

 父は、私が生まれた頃はとても華奢だった。背は高かったが華奢だった。父の古い写真を見て思った。一体何が父を美青年でなく弱気なにいちゃんに見せているのだろうか、と。自信のなさ? 青春の迷い? 父の持っている特有の優しさは、写真を通して見ると優柔不断の雰囲気を与えていたので、父はとても損をしていたわけだ。

 

 今の父はかなり太っている。母の太り方とは違って、背中のあたりにブスッとエアポンプを入れ、プワーッと全体に膨らました感じだ。全体に柔らかくぽちゃぽちゃと太っている。背が高かったので、太って父は大男になった。大男というからには威圧感が少しはありそうなものだが、父にはそれがない。

 

 父と母が歩いているのを後ろからみて、妹の純子は言う。

 

「丸と四角だね」

 

 丸と四角ねえ。

 

「あたしなら大たまごと箱だって言うわ」

 

「あたしは二次元的に言ったのよ」

 

 妹は今まで私をお姉ちゃんとかお姉さんと呼んだことがない。人前でちょっとすまして、あたくしの姉がね、っと言ったことはあるにしてもだ。小さい頃、純子は何度母に「お姉ちゃんでしょ!」ときつく言われても「ヨーコちゃん」と繰り返し、しまいには母も諦めた。これは母が諦めた数少ないことの一つだ。

 

 純子は理屈を言うのが好きで、その理屈ってのは聞いた瞬間はなるほどと思うが、頭の中で咀嚼すると、あれ、どっかおかしいなって種類のものだった。なのに、あまりにも確固たる自信をもって言うものだから、向かい合って聞いている者はたいてい納得してしまう。純子は家族の中で一番論理的でない頭の構造なのに、論理的に言ったふりをするのが得意、という技を持っている。

 

 私は二か月に一度くらいは家に帰るようにしていた。前年は誕生日くらい家族と過ごしなさい、産んだ母親に感謝しなさい、と母に叱られた。その日は私の誕生日だったし、特に一緒に過ごす相手もなかったので、家に帰ることにした。

 

 二時間近く電車に揺られ、駅前で西瓜を買った。

 

 父は帰ったばかりらしく、卵型の体の肩をさらに丸くし、冷蔵庫からビールを取り出しているところだった。母は老齢の銀行強盗が全速力で逃げたというニュースを無表情で聞きながら、私を見て、あらと西瓜を受け取った。

 

 どうやら私の誕生日に気づいている様子はなかった。

 

 私は台所のテーブルで、生徒の宿題の丸つけをし始めた。構文は「・・・・・なので・・・・・です」

 

 きょうは、にちようびなのでてにすをします。

 

 うん、まあよしと。

 

 つまがいないのでたのしいです。

 

 どういうこと?

 

 半分くらいつけ終わったとき、純子が帰ってきた。洗面所で顔を洗った純子はすくっと立ったまま、言った。

 

「あたし、エドと結婚することにしたわ」

 

 エド? 誰?

 

 父も母も、もちろん私も呆気にとられた。エドってのは初耳だった。

 

「そうよ、エド。エドワードよ。テキサス出身でquite gentlemanなの」

 

 純子は髪をピンで留めながら言った。何本ものピンで前髪を留める。額が出た純子は子アザラシみたいになった。

 

「そのクワイ…って何?」と母。

 

「Quite gentleman。凄く紳士的だって言ってるの」

 

「テキサスって馬の多いとこだよな」

 

 困ったように父は言った。

 

「そうよ、馬も多いけど、人もたくさんいるわ」

 

 純子は父を見る。

 

「それ、日系の人?」と母。

 

「違うわ」

 

「ハーフ?」

 

「違うわよ」

 

「じゃ、全くの外人なの?」

 

「そう全くの外国人」

 

「何してんの」

 

「英語教えてるの。今はパートだけどじきにきちんとした会社に就職するって言ってるわ」

 

「するって決まってるの?」

 

「するつもりなのよ」

 

 母は黙りこくった。母にとって、外国人と結婚するなどあり得ない話のようだった。

 

 考えてみると母は外国のものが結構好きだ。たとえば、イタリアンゴールド。14金だけど安いのはやっぱり魅力だわ、と言っている。たとえば、ビーフジャーキー。ドライビールと一緒に犬歯でビーフジャーキーを齧っては、するめは日本、ビーフジャーキーはアメリカね、が口癖だ。たとえばスイスのビターチョコ。従姉妹の恵さんがヨーロッパ旅行のお土産に買ってきてから、チョコはスイスと決めている。

 

 けれど、娘の婿が外国製ってのは話が違うようだった。

 

「でも、とにかく決めたのよ。エドと結婚するわ」

 

 そう言い、純子は両親を交互に見つめるが、父も母もすでにリラックスし始めていた。なんたって純子の気まぐれのひとつなのだ。今まで何一つ長続きしなかったじゃないか。真剣に話し合うだけ、体力の消耗だ。母は純子にはstrictだけでは通用しないと悟ってからは彼女には割と柔軟で、私がその分損をしている。最近の母は純子が何を言っても聞こえないふりをする、という手を覚えている。

 

「あたしとにかく決めたのよ。エドと結婚するって決めたのよ」

 

 純子は必死に繰り返すが、父は黙ってビールを飲み、母は蚊取り線香のコマーシャルから目を離さない。これ以上言っても、父は困った顔で母を見るだけだろうし、母はそのうち、いい加減になさい!といって無視を決め込むだろう。純子にもそれはわかっている。

 

「ねえ、お姉さん、どう思う?」

 

 純子が茶化してでなく真剣に「お姉さん」と呼んでいる。ひょっとしたら今度は純子は本気なのかもしれない。私をお姉さんと呼ぶ異変が起きたのだから、今度ばかりは予想を裏切り長続きするかもしれないのだ。

 

「そうねえ…。じゃ、あたし、今度そのエドさんってのに会ってみようか」

 

「ほんと?」

 

 純子はおでこを光らせて、嬉しそうに私を見た。

 

 母はリモコンでぱちんとテレビを消し、くるみの袋を持ってくる。カリフォルニア産のやつだ。先の尖ったくるみ割りでバリバリっと砕き、口にほおりこむ。

 

 ねえ、純子、そのエドさんとやら、どんな人か知らないけど、このファミリーの一員になって芯から分かり合えるってのは、かなりエネルギーがいることね。

 

 父は空になったビール瓶をキッチンへ持って行き、蛇口ですすぎ始めた。

 

 なんにしても誕生日のケーキは望めそうもなかった。