彼はそれは大男だった。ヒュージな男。白目の光り方が凄かった。黒目も大きくてけっこうな迫力だったけれど、なんといっても白目。白目の迫力が凄かった。顔も手もみんな黒いものだから、月明かりに立っていると白目が神々しく光る。
名前はピタだ。ピタブレッドのピタ。アラビアパンともいうあのポケットみたいなパン。その中に具を入れてサンドを作る。ツナにしろ、チキンにしろ、アルファルファとトマトの薄切りにしろ、好きなものを入れればいい。
そのピタが、ブレッドと同じ名前のピタが、もっと近くなりたいって、私に言った。近く、とは親しく、ということだ。
もちろん、といいながら、ちょっと緊張した。同時にむずがゆくなった。頭の被膜がポロッと一枚落ちてしまいそうな、そんな感じだった。
ピタ、もう充分近くよね。こんな小さな車に乗ってんだし、すごく距離近いわよ、と茶かす。
乗っていたのはなんていったかな。買うのは安いが、事故ったら死ぬ確率が一番高いっていうやつだ。恐怖の車、死神の愛車なんて言う者もいた。
こんな小さな、頭打ちそうなほど天井も低く幅も狭い車に乗ってんだから、私たちってすごい近い関係よ。
ピタは、僕は真面目だよって感じで私を見た。
今度は私を見つめるピタの黒目に圧倒された。白目じゃなくて黒目の迫力を感じて、ちょっとやばいって思った。白目の迫力から黒目の迫力への変化・・・はけっこう衝撃だ。黒目は白目より実体があるってことだ。黒目の迫力の方が胸に深く刺さる。光る白目の迫力とは一味違う黒目の迫力。
いや、もっと近くさ、わかるだろ。ピタがさらに近づく。結構穏やかに空気が揺れる。ピタを包む空気の揺れが全体に浸透してくる、そんな感じだ。
食事一回食べに行っただけよね、わたしたち。
わかるときにはわかるものだよ。ランチ一回、デート一回、映画一回って数えて、はい、何回のつきあいですって、そんな問題じゃないさ。
それにしてもピタの目って凄いコントラストだ。本当に圧倒される。黒目がうんと黒くて、白目がうんと白いわけ。そのコントラストが激しすぎる。炎天下で撮った写真みたいに凄いコントラスト。そんなピタの目見てると、こっちも炎天下に立ってるみたいにくらくらしてくる。
ピタの目に圧倒されてるうちは、関係は進めないわね。
私がそう言うと、ピタはちょっと考えた。私の言った意味を分析するように、真面目な姿勢で考え込んだ。するとピタと私がすわっている車の中の空気がすっと変わった。どう変わったか、っていうと、小さな車がそれほど小さく見えなくなったのだ。つまり、ピタがそれほど巨大に見えなくなったってわけだ。
ピタは子供のようにうつむいてスピードメーターをじっと見つめ始めた。小さな車にしては随分大きなスピードメータだ。タコメータはなくスピードメータだけだった。
ピタ、いくつ?
スピードメータ見てるピタが妙に幼く見えて私は聞いた。
そしたら、彼が口にした歳といったら。
子供じゃないの!ピタってまだ子供じゃない!
あまりのことにのどがひっくり返りそうになったけど、何とか落ち着いてピタの顔をじっと見つめながら言った。
ピタって思ったよりずっとずっと若いのね。ほとんど子供ね。
我ながら、心地よさそうに優しく笑っていたと思う。ほとんど不気味なくらい優しい顔だったと思う。
そして、私は自分の歳を言った。今度はピタはポカンと口を開ける番だった。
わかんなかった。ピタは子供みたいに言った。
人種が違うとちょっと分かりにくいわね。
私とピタはお互い人種的に見慣れていないタイプだったのだ。
そうだ! 私は持っていた日本の雑誌をバッグから取り出して見せた。
歳を当ててみて。
私が指さす人、主に女性、少女だったり、中年にさしかかっていたり、のいろんな女性を、ピタが 18才? 25才? 37才?とか言う。そして私が多分このくらいだろうと思う年齢で正していくってゲームだ。
それは、結構、かなり、おもしろかった。二人でケタケタ笑った。
今度はピタが持っていた科学系の小冊子を出した。写真もいっぱい載っていて、ピタが指さす学生や教授やキャンパスを歩いている人たちを、27才? 45才? 18才? などと私があてる。ピタが大笑いしながら、正しい歳を教えてくれる。ピタは写真の人たちのほとんどを知っていたので、かなり正確な歳が言えるわけだ。
私たちは肩を寄せ合って笑った。さっきまでの緊張感は消滅し、近所のおばさんと近くのいたずらっ子が世間話をしている、そんな感じで笑った。
ピタの幸せと未来を祈っているわ。
突然私は言ってみた。
ピタの国のこと、もっと学ぶわね。そしてピタの国の子供たちの未来を考えるわ。
一瞬にして私はピタの守護神にでもなれそうなちょっと驕った気分になった。
ピタは、えっ?というように目を大きく開けた。
ピタの白目も黒目も迫力を失っていた。可愛い子供になったピタの目は輝きに満ちてはいたが、その迫力を失っていた。
ピタはとても穏やかなあどけないほどの丸い目で私を見ていた。