コトダくんは一度ブラインドデートをしたことがある。

 

 コトダくんのことを少なくとも危なそうではない人物だと感じたミックさんが、コトダくんをミックさんの彼女の友人に紹介した。

 

 最初はダブルデートのはずだったが、ミックさんが盲腸になり、コトダくんとミックさんの彼女の友人は二人だけで会うことになった。会って一緒にミックさんのお見舞にいくという名目で。

 

 ミックさんは幹夫と言う名だった。幹というより枝に近い風貌だったが、よくもてた。相手の話を聞くのがうまかった。ミックさんは人の話を聞くのが好きだった。そして、相手がどのタイプかが直感的にわかった。

 

 相手が共感を求めていると感じれば、そうだよな、わかるよ、それは大変だったね、と言い、親身に相手の気持ちを聞き続けることができた。

 

 また相手が解決法を求めていると感じれば、博識なミックさんは、頭でパタパタと一番適したカードを出して、情報やアドヴァイスを与えてくれた。

 

 また相手が自分を過小価値し過ぎていて自信がもてないと思っていると感じれば、お世辞でなく、客観的に優れているところを見つけ、心から褒めた。

 

 ミックさんと話したことがあるが、奇妙なことに、僕とはあまり話が盛り上がらなかった。つまり、似ていたのだ。僕とミックさんは顔は全く違っていたが、人との対応が似ていたのだ。鏡と向かい合って話し続けると思ってほしい。どこか居心地悪く、そわそわするだろう。僕はミックさんと会ってそんな感じがしたし、ミックさんもそうだったんじゃないかと思う。

 

 いや~また、話しましょう。

 

 ええ、ええ是非!

 

 そう言って僕とミックさんは別れた。

 

 話が横に逸れてしまったが、とにかくミックさんがコトダくんにヨウコさんと出会うきっかけを作った。

 

 ヨウコさんは凜と、コトダくんをカフェで待った。デパートの4階にあるカフェで会うのを約束したのだが、あいにくデパートが改装していて4階の喫茶店はテンポラリーに3階に移っていた。同じ名前で。

 

 ヨウコさんは3階に移ったそのテンポラリーのカフェでコトダくんを2時間待った。携帯の番号も何も知らず、コトダくんの本名しか聞かされていなかったヨウコさんは、そのうち来るだろうと待ち続けた。アフタヌーンティの時間を過ぎて、ディナータイムに突入しそうな勢いだったが、焦りもせずに待った。ただ待つのも退屈だったし、周りにすわる者たちの人間観察にも飽きたので、ヨウコさんは読みかけていたカズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」を読むことにした。そしてコトダくんが来る前に読み終えた。

 

 ヨウコさんは感動していた。切なく、寂しく、そしてひどく人生について考えさせられる気持ちになっていた。細かなことはどうでもよく思えた。人は運命を受け止めて、その人らしい選択をして生きていく。カズオ・イシグロ氏が投げかけたテーマを受けとめ、ヨウコさんは思考の深淵で、自分がもがいているように感じていた。

 

 そのとき2時間15分遅れで、コトダくんが現れた。

 

 ヨウコさんは「階が変わったからわからなかったのかしら?」と嫌みでなく聞いた。

 

 いいえ。ちょっと用があって遅れてしまったんです。

 

 コトダくんはそう言い、すいっとすわった。

 

 コトダくんは、心の中ではすごく焦ったり、申し訳なく思ったりする。ただ、その心をもう1枚の膜が包んでいて、動揺というか振動をやわらげる。だから、態度に出ない。いや、態度に出すことができない。これがしばしばコトダくんが無礼なやつ、とか空気が読めない、とか思われるゆえんだ。

 

 コトダくんは「心の動き」と「適切な行動、言葉」の連携がうまくいかない。小さい頃から自分なりに学んではきた。けれど、人が無条件反射のようにできることがコトダくんは学ばないとできなかった。コトダくんは情報はプロセスできる。そのときもヨウコさんが涙ぐんでいる。2時間以上待たせた。テーブルの上にカズオ・イシグロの本がある。こういった情報から、2時間待たせたことを深く謝るべきだ、けれど泣いているのは自分のせいではなく、本を読んだためだろう、と判断できる。けれどそれをどう行動に出すかのが難しい。

 

 コトダくんは「ごめんなさい。待たせてしまって。カズオ・イシグロの本を読んだんですね。『日の名残り』も読みましたが、この本の方が僕は好きです」と言った。

 

 ヨウコさんは、コトダくんを見た。一見とてもルックスも体格もいい男としてコトダくんは存在していたが、ヨウコさんは、コトダくんがいわゆる平均的思考パターンをしない人間だろうと一瞬にして悟った。そしてとても興味を持った。ボーイフレンド候補にはおそらくならないだろうけれど、友達になれそうだ、と思った。そしてヨウコさんはかなり嬉しくなった。

 

 お腹が空いていますか?

 

 ヨウコさんは優しく聞いた。

 

 いえ、全然。

 

 じゃ、出ましょうか。

 

 ええ。

 

 ヨウコさんがお金を払う間、コトダくんはじっとヨウコさんを見ていた。ヨウコさんがすわっていたときよりずっと小さく見えるのはなぜだろう、と考えていた。

 

 ちょっとこれを持ってて。

 

 ヨウコさんが渡した「わたしを離さないで」の本を両手で受け取り、コトダくんはちょっと無理をして笑顔を見せた。本当になんだか嬉しかったけれど、コトダくんとしては笑顔を見せる種類の喜びではなかったから、その笑顔はヨウコさんへの感謝の気持ちからだった。2時間待たせたお詫びでもなければ、待たせたヨウコさんにお金を払わせているからでもなく「わたしを離さないで」を読みながら帰らずに待っていてくれたヨウコさんへのコトダくんなりの感謝の表れだった。

 

 最近読んで興味を持った本はある?

 

 読んだって感じじゃないんですけどね、ナナフシの本を見て面白いなって思ったんです。

 

 ナナフシってあのひょろっとした虫?

 

 そうなんです。

 

 ナナフシってほんとに七つ節があるの?

 

 いえ、ほんとは七つ節があるように見えるだけなんです。

 

 七つあるわけじゃないの?

 

 いえ、たくさん節があるように見えるからナナフシなんです。七ってのはたくさんって意味もあるんですよ。ほら七転び八起きっていうでしょう。あれって本当に七回転ぶってわけじゃないんです。たくさん転んでその度に起き上がるってことなんです。

 

 あら、そうなのね。知らなかったわ。

 

 ヨウコさんは凜としたなかにも柔らかさを少し加えて答えた。コトダくんはこの凜とした感じが、ヨウコさんを実際よりずっと大きく見せたんだろうって納得しながら、ナナフシの説明をどこまで続けていいものかを考えていた。