7章 子ネズミ同盟
パティ・スナイダーの直接の死因は、アルツハイマーではなかった。
「事故だったんですよ。確か‥七年ちょっと前でしたね」
バーテンダーは言った。
「気のいい女でしたよ。客にもファンが多くてね。あんなに若くしてアルツハイマーになるなんて、よくよく運がなかったんでしょうね」
パティがアルツハイマーと診断されたのは、アンがパワーズとの結婚を決めたころだ。なんらかの知り合いだった二人が、一人は華やかな世界へ、一人は忘却の世界へ…対照的な道を歩んだことになる。
「これがパティです」
バーテンダーは壁に10枚近く掛けてある写真の中から一つの額を外し、差しだした。ハロウィーンパーティか、仮装した14、5人がポーズをとって笑っている。カールしたブロンド、胸を強調したドレス、ドリー・パートンの仮装らしい。彼女だ…。ゴールディは確信した。あの日、アンの部屋の前に立っていた女。ゴールディの夢に出来てた女。
彼女の唯一の財産はデキシーストリート近くの小さな家で、今は娘が住んでいるということだった。
それは、メインな道からは少し引っ込んだところにあった。壁の色が焦げ茶で屋根がオレンジがかっているからか、ゴールディは昔食べた少し風変りなチョコレートキャロットケーキを思い出した。雨の中、どこかかびたにおいがした。
雑草はきれいに刈られていた。玄関の階段の周りには、白と黄色のマーガレットが咲乱れている。そういえば、一度見たきりのパティは花模様のスカートをはいていたような気がする。パトリシア・スナイダーはもういないのか…。ゴールディは揺れるマーガレットに少し感傷的になった。
「人の気配がするな」
「そうね」
呼び鈴を押すと、出てきたのは大柄な女だった。どことなく一度見たきりのパティに似ている。
「パトリシアさんの娘さんですか?」
女はうなづいた。ノースリーブの肩に刺青があった。大きな翼のついた魚の刺青だった。翼魚だ。ゴールディは二人でお揃いで買った翼魚の指輪を思い出した。アンは翼魚の翼の部分を撫でながら「こんな魚がいてもいいわよね」と言った。
「私、ゴールディ・ミラーと言います。こちらは友人のヴィンス・ぺロスキーです。実はお母様の古い友人のことで、お聞きしたいことがあるんです。よろしいでしょうか」
女はゴールディとヴィンスを交互にながめていたが、「どうぞ、シシイ・スナイダーです」と手を差し出した。
ゴールディは、バーテンダーに言った話を繰り返した。蒸発した友達を探していると、そしてその友達はパトリシア・スナイダーさんと古いつきあいがあったったはずだ。何か、その友人について知っていることはないだろうか?
「その方、何て名前かしら?」
シシイは真剣な眼差しで聞いた。
「アン・ノリスです」
シシイは考えるような視線でゴールディを見ていたが、「とりあえず中へどうぞ」と言った。
こじんまりとペイズリー柄をベースにデコレートされたリビングのソファに腰を下ろした。
「残念ながら、あまりお役にたてそうにありません。母とその方が知り合いだったのか、その名を聞いたこともないからわかりません。母が若い頃、何をしてたかもはっきりとはあたし知らないんですから。子供時代の写真なんかも見たことないんですよ。ただ、これだけは言えます。あたしの覚えてる限り、母は神を信じ、まじめに正直に生きようとしてました」
「あ、誤解なさらないで下さい。私はお母様のことを探りにきたわけではなく、お母様の友人のアン・ノリスのことを知りたくて藁にもすがる思いで来たんです。でも、お母様にアン・ノリスという知り合いがいたかについては何も御存知ないんですね」
「残念ながら…。二人は本当に知り合いだったんですか?」
「そうみたいです」
「友人といえるほどの?」
「それはわかりません」
「でも、少なくとも、彼女、母の葬式には来なかったし、連絡もありませんでした。それだけは確かです」
「お母様が亡くなられたの知らなかったのかもしれませんね。事故だって聞きましたが、交通事故ですか?」
「いいえ、転んで頭を打ったんです。ここのところを」
シシイは後頭部を押えた。
「いつだったんですか?」
「お母さんは、その夜、一人だったんですか?」
ヴィンスが聞いた。
「いいえ、付き添いのマディがいました」
「差し支えなければ、そのマディさんの連絡先教えてもらえませんか?」
「もらえるかも何もその足で行かれたらどうですか? 歩いて三分のとこです。最近は腰が痛いとかいって家にいることが多いから、この時間帯なら多分いると思いますよ」
住所を聞き、礼を言って出ようとしたとき、再びシシイの刺青が目についた。
「シシイさん、その刺青ですけど…魚ですよね」
「ああ、これ、変わってるでしよ。母も同じものを、ここの肩のところに入れてました。これね、伝説の魚なんですって。飛び魚どころじゃなくって、どこまでもどこまでも飛べる強靭な羽を持つ魚なんですって」
「色の組み合わせが奇麗ですね」
「母のはもっと奇麗でした」
シシイは悲しそうだった。
マディ・ランピスのアパートは、シシイの言う通り、歩いてすぐのところだった。建物は古かったが、管理は行き届いているようだった。
パトリシア・スナイダーの古い友人だが、彼女の亡くなった夜の様子を教えてほしいと言うと、にこやかに顏を見せたマディだったが、急にしんみりした顔になった。
「私がついいていながら悲しいことになってしまって…」
マディは腰をさすりながら言った。「よかったら入って下さい。今ちょうどクッキーを焼いたところなんです」
「すっかり真夜中のことでした。二時を回ってたと思います。電話の音がしたように思って、私、目が覚めたんです。リビングに行くと、白いネグリジェ姿のパティが立ってたんです。私を見ると、そりゃ優しげな顔して言うんです。キムと何とかが来てるのよ、って。その頃、パティ、もう自分の名もわからないぐらいでしたけど、そのときはしっかりした口調で微笑みながら言ったんです。キムと何とかが来てるのよって。パティ、何言ってるの?って言ったんですが、彼女、ちょっと出てくるわね、ビタミンもらって来なくっちゃ、なんて言うんです」
「ビタミン…ですか?」
「ええ、確かにビタミンって聞こえました」
「それで?」
「それで、ドアを開けて出ようとするんです。もう真夜中でしたし、もちろん止めようとしました。でも、パティはすごい力で、私の手をふりほどいたんです。少しもみ合ってるときに花瓶が割れました。パティは裸足だし、踏んだら怪我をすると思って、大急ぎでかけらを拾い集めましたが、その間にパティは外へ出てしまったんです。今でも悔やまれてなりません。パティはそのころ夜中に起きて庭の花を摘んだりするなんてこともしょっちゅうでしたし…でも、夜はかなり冷え込んでましたから大抵いつも寒いよーって子供みたいに言ってすぐ中に入ってきてたものですから、そのときもそれほど大事だとは思わなかったんです。とりあえず、割れたかけらを集めてから連れ戻せばいいって思ったんです。でも、出てみると、パティが倒れてました。私、息が止まるかって思いました。パティ!パティ!って起こすと、頭から血が流れてて…。救急車を呼びましたが…手遅れでした」
「そうですか」
「パティが亡くなる前、確かに電話の音で目が覚めたように思うんです。パティ、リビングの電話のそばに立ってました。彼女、電話で誰かと話していたんじゃないでしょうか。いったい誰と話していたのか、彼女が亡くなったあと、ひどく気になりました」
「何だか釈然としないな」
マディの家を出るなり、ヴィンスは言った。
「ねえ、彼女、キムと誰かが来るって、パティが言ったって言ってたけど、もし、ほんとに電話があって、キムと何々が来てるから、どこそこまで出ておいでよって言ったとしたら?」
「何のために?殺すためにっていうのかい?何のためにアルツハイマーの無害な女を殺すのさ?」
「そう言われればそうね…」
「それより、ビタミンもらわなきゃって言ったっていうけど、何のことだったんだろうな」
「さあ…。でも、彼女の記憶はもう正常に機能してなかったわけだから、大した意味などないのかもね」
ホテルに帰ると、シシイから電話があった。何でもいいから、関係ありそうなことを思い出したら電話してくれと、携帯番号を渡しておいたのだ。
「母の昔の知り合いで、南十字星出版から本を出しているマイク・デルベッキオという作家がいます。母の若い頃を知っていると思います。聞いてみてもいいかもしれません」
シシイは言った。考えた末の結論のような、ひどく重い口調に思えたのはゴールディの思いすごしだろうか。
南十字星出版に問い合わせたが、今はもう彼とは契約してないし、ここ五年間、彼は創作してないので、現在の住所はわからないと言うことだった。以前彼が住んでいたという住所を調べてもみたが、とっくに引っ越していて行き先はわからなかった。電話登録もしてなければ、手がかりになるものは何一つなかった。
その日の午後、ヴィンスはチャックから友人が襲われて重傷だという緊急の連絡を受け、ボストンに帰った。こっちは大丈夫だからとゴールディは強くボストンに帰ることを勧めた。一人で調べるのは心もとない気もしたが、これ以上ヴィンスの時間をとっては悪い気がした。ヴィンスに甘え過ぎてしまった、そう思いつつも、いつでも連絡しろよ、というヴィンスの袖をひっぱって引きとめたい気持ちでいっぱいだった。
一人になると、ゴールディは焦りを感じた。パティのことをもっと知りたかった。パティを知れば、アンをよりよく知ることが出来るような気がした。ゴールディはパティが働いてた店や、住んでいた家の周辺で、彼女を少しでも知っている人がいれば、事情を説明し、どんな小さな情報でもいいから得ようとした。
「気のいい女でね」
皆、口を揃えて言った。
「若い頃はそりゃ美人でね。でも気取ったとこはありませんでしたよ」
「口数はどちらかというと少ない方でね。でも聞き上手でね。そりゃ中には随分馬鹿馬鹿しい話をする奴らもいましたが、よく聞いてはうなづき、相槌をうってましたよ。男友達はいたけど、結婚はしなかったはずですよ。十代のころ随分若くして女の子を一人生んだんですがね。パティが三十代のころには、もう大人並の大きさになってて、二人で歩くと、お姉さんですか、なんて言われるのを喜んでましたよ」
「そういえば、彼女の幼いころから相談相手になってた警官が一人いましたよ。ほとんど家によりつかなくなってた…今でいう不良ですね…パティの、相談相手になってたようですよ。それが、ちょいと変わった警官ってことで、そりゃ優しげでぬーぼーとしててね。目が垂れてたからですかね。二十代後半から髪が抜け始めて、こう襟足だけを伸ばしたりしてたもんですから、ほんとに一風変わった風貌でしたよ。警官としては大した手柄はたてなかったようですが、人当りがよくてね、彼を嫌う人間はいませんでしたよ。あたりさわりがないというか、それに面倒見がよかったですよ。才能もある男で、絵なんかもちょっと描けたみたいですよ。筆もたちましてね、絵本を数冊出してるみたいですよ。警官の絵本作家ってのはやっぱ変わってますよね」
ゴールディは図書館に足を向け、図書検索のコンピューターにマイク・デルベッキオの名をインプットした。
三冊の本の名が画面に現れた。
チルドレンズセクションでは、下は四才くらいから十四、五までの子供たちが、なかなか行儀よく、本や絵本をめくっていた。
マイク・デルベッキオが書いたという三冊の本は、貸し出されていなかった。ゴールディはその三冊の絵本を探し、窓際の角のテーブルに座った。
二冊は大きな本で、一冊は絵本にしてはかなり小さな本だった。葉巻をくわえたリスが表紙に書かれた『リトルスモーキー』と、シマウマのようなストライプのある犬が主人公の『カウント マイ ストライプス』 そして、三匹の子ネズミが主人公の『子ネズミ同盟』だった。どれも、絵のタッチは柔らかで淡い色に溢れている。
ふっ、何してんのかしらね、三冊の絵本を前にしながらゴールディは思った。とんだ横道にそれてしまったのでは…。絵本以外にも本を出していて、たとえば自伝とか…そしてその中にパティについて、さらにはアンについて何か書いてないだろうか、など都合のいいことを考えていたのだ。
がっかりしたゴールディは、本を重ねたまま、しばらくぼんやりしていたが、ホテルに足を向けた。
ゴールディは雨の街を歩いた。ニューオリンズの雨はボストンの雨と違うにおいがした。この地方独特の草や木のにおいが雨にとけているのだろう。
こんな機会でなく、遊びで来たら楽しかったに違いない。フェスティバルの季節にヴィンスと来たらどんなに楽しかっただろう。何の悩みもなく、パーティ帽子かなんかをかぶって…。屋台そのものがホットドッグの形をしてるホットドッグ売りから、ニューオリンズ風味付けのスパイシードッグを買うのだ。おじさん、たまねぎとピクルスたっぷりね…。街は仮装したストリートパーフォーマーであふれ、風船売りのピエロは風船細工でプードルを作りながらウインクする。いつか雑誌で見た白いドレスを着た妖精のようなストリートミュ-ジシャンの一団が、道をコンサート会場にしてしまう。犬も元気よくしっぽを振ってリズムをとる。子供たちがタップダンスを始め…。菱形のベニエという菓子を売るサイドウォークカフエでは、恋人たちがニューオリンズの風を吹かれて、頬寄せ合う。…そう、そんなふうに過ごしてみたかった。
ゴールディは雨のバーボンストリートを歩いた。
15年前に戻ってボブと歩いてみたい。ふとそんな思いが頭をよぎった。何の打算もなく、互いの存在そのものに恋をしていたあの頃…。
雨は激しくなってきていた。空は暗かった。ストリートパーフォーマーやストリートミュージシャンたちは、みな軒下や、バーの中に非難してしまっていた。
どのくらい歩いたのだろう。バーボンストリートを端まで歩いた。傘もささずに歩いた。雨はなま暖かく、ずぶぬれになっても体も頭もほてっていた。
「ちょっと、お嬢さん」
その声に自分を今でもお嬢さんと呼んでくれる奇特な人は誰かと振り向いた。痩せた男が本屋の前で手招きしていた。
「大丈夫かね?」
言われて初めて、ゴールディは自分がいかに奇妙に見えるかに気がついた。綿のブラウスもサブリナパンツも雨で体にはりついて…それでも急ぐわけでもなく、呆然と歩き続ける…。さぞかし奇妙に見えたのだろう。
「雨をエンジョイしてるの」
「それならいいんですがね。幽霊でも見たような顔で歩いてましたよ」
男は本屋の主人のようだった。ゴールディは言われるまま、中へ入った。決して広くはないが、本はきちんとジャンル分けし、見やすく並べてあった。
「これ使いなさい」
男は、大きなタオルを持ってきた。
「あの‥。」
髪を拭きながら、聞いてみた。
「マイク・デルベッキオって御存知ですか?」
「マイク・デルべッキオねえ…。どこかで聞いた名前だな」
「絵本を三冊ほど出版しているんです。『リトルスモーキ一』とそれから、表紙にネズミが三匹いるやつと、それからもう一冊何だったかしら…そうそう。縞模様の犬の話だったと思います」
「ああ…」
男はうなづいた。
「デルベッキオ。そうだった。昔のテレビ番組の主人公と同じ名前だった。知ってますよ。以前はうちでも結構売れました。そのデルべッキオってのは、ちょっと風変りな男って噂でしたよ。確かおまわりじゃなかったかな」
「ええ、そう聞いてます」
「ああ、そうだ、確か…数年前に姿をくらましたんですよ。その少し前に子供にいたずらをしたって噂がたちましてね。なんだか子供の胸を触ったとか触らないとか、その程度のことだったらしいんですが、彼の評判はがたおちですよ。絵本作家としては完全におしまいですね」
「そうですか…。直接本人にお会いになったことありますか?」
「一度サイン会で見かけましたよ。左利きでね。こう、流れるようにサインするんですよ」
「そうですか…」
ゴールディがタオルの礼を言って出ようとすると、ちょっと待つようにと男は言った。しばらく奥へ入っていた男が差し出しだのは、デルベッキオの絵本『子ネズミ同盟』だった。
「ありましたよ。彼に興味あるんでしたら、これ、どうぞ。うちではもう売れませんから」
☆
ニュ-オリンズからの飛行機は揺れた。オレンジジュースが小さなテーブルの上で、カタカタと音をたてた。少し寝たいと思ったが、眠れそうもなかった。
ゴールディはデルベッキオの絵本を取り出した。『子ネズミ同盟』か…。ふっくらした顔の三匹の子ネズミが手をつなぎあっている。人種コンシャス、そう言うのだろうか、ネズミのそれぞれの人種というかネズミ種もはっきりしていた。一匹はブラックネズミ、一匹は東洋ネズミ、そして一匹はホワイトネズミだった。ブラックネズミは男の子で、鳥撃ち帽をかぶり、サスペンダーをしている。東洋ネズミは目が細く、前髪が黒くストレートに揃っている。これも男の子のようだ。どこか中国服を思わせるスタンドカラーの紫のシャツに赤いパンツをはいている。ホワイトネズミは、明かに女の子だった。カールしたブロンドをポニーテールにし、ハートのペンダントを下げている。ネズミたちの表情はとても愛らしく可愛かった。
表紙をめくると、最初の白いページに一行、『パティ、キム、バートに捧げる』とあった。
パティ、キム……。
パティとはパトリシア・スナイダーのことに違いない。パティの娘シシイは、伝言で、「母が昔お世話になった人物らしいです」と言っていた。そしてキム…。その名前はパティの付き添いをしていたマディから聞いたばかりの名前だ。パティが死ぬ前、「キムと誰かが来ている」と言ったという。そのキムだ。キムとはやはり実在する人物だったのだ。そう、そうに違いない。そしてバート…。キムと誰かの誰かとは、バートではなかったのだろうか…。
興奮状態になったのかゴールディのページをめくる指が少し震えた。
絵本としては、小学校低学年用のものに思われた。三匹のネズミ、ロ-ズとトムとフランキーが、街のジャズフェスティバルで知り合い、友情を誓う。とても貧しい三匹は、子ネズミ同盟を作って働き始める。スリを働くのだ。相手は、街の嫌われ者、強欲なおばけ犬のジョージとか、ごうつく猫のギルダとかだ。すった金を三匹は均等に分ける。
三匹には、それぞれ夢がある。ホワイトネズミのロ-ズは歌手になること。東洋ネズミのトムは、生まれ故郷の北の国に帰ること。そしてブラックネズミのフランキーは大都会へ出て一旗あげること。三匹とも心根は優しく、スリを仕事にするのを恥じている。けれどとても体が小さい孤児の三匹には、他に生活の手段がない。ある日、三匹は、もう一仕事したら、スリから足を洗おうと話し合う。三匹の子ネズミは、スワンホテルに泊まる予定の宝石商人大カエルのゲッコーから宝石を盗む計画をたて、誓うのだ。成功したら、足を洗うのだと。
計画は成功し、三匹は仲良く山分けする。ホワイトネズミのローズは赤い宝石を、東洋ネズミのトムは青い宝石を、ブラックネズミのフランキーは金色の宝石を手にする。そして三匹は再会を誓って別れる。
事件は迷宮入りになるが、一人だけ、三匹の子ネズミが怪しいと思っていたものがいた。大ネズミのロッドだ。ロッドは優しい三匹の子ネズミが大好きだったが、罪は罪だ。ロッドは真実を知りたいと、三匹の子ネズミを捜し出そうとする。
年月が流れる。ロッドがやっと三匹を捜し当てたときにロ一ズは小さなカフェを開いている。街の人気者で、人望というか、ネズミ望がある。ブラックネズミのフランキーは、ネズミの世界でも十本の指に入るビジネスマンになっている。東洋ネズミのトムは結婚して小さな小間物屋を持ち、5匹の子ネズミのよき父親になっている。大ネズミロッドが真実を問いただすと、三匹とも涙を流して認め、ずっと罪の意識に苦しんで、宝石はしまいこんだまま、もう何年も見てないという。
ローズが赤い宝石をしまった箱を開けてみると、何と赤い宝石は真紅のバラになっている。トムが庭に埋めた青い宝石は小さな池に、そしてフランキーが埋めた金色の宝石は黄金色の実をつけた大きな木になっている。
「どうしよう。もう返せない」
嘆く三匹のネズミに、ロッドは言う。
「あのカエルのゲッコーは偽物売りさ。宝石だと言っていたのは、氷砂糖に色をつけたもの。それを美しいバラや、清らかな水をたたえた池や、実り多き木にしたのは、君たち自身さ」
三匹は手を取り合う。そして、もう、かつての自分たちのような子ネズミがスリを働いたりすることのない社会を望んで子ネズミ基金を作ることにする。
いい絵本だ、ゴールディは思った。
三匹の子ネズミにはモデルがいるのではないか…。ホワイトネズミのローズがパティだとする。あとの二匹のネズミ、トムとフランキーは、キムとバートなのだ。デルベッキオは、モデルだった三人にこの絵本を捧げたのではないだろうか。パティ、キム、バートに捧げる…にはそういう意味があるのでは? そして、大ネズミのロッドは、デルベッキオ自身かもしれない。
考えすぎか…。
ゴールディは本を閉じ、目をつぶった。気流に入ったらしく、飛行機は上下にカクッカクッと揺れた。あと十分もすれば、着陸だ。デルベッキオに会わなければ…それだけは確かだった。
ボストンに着くなり、ゴールディはマディ・ランピスに電話した。
「マディさん、よく思い出してほしいんです。キムと誰かと言った、その誰かの名前なんですけど…今から言う名前の中でそれらしきものがあったら、教えて下さい」
「わかりました」
「ジム」
「多分、違うような…」
「スコット」
「さあ…」
「ショーン」
「…」
「ハンフリー」
「…」
「バート」
「…」
「バート…じゃ、なかったですか?」
「バート …さあ、よくわかりません。正直、覚えていないのです」
「そうですか。…わかりました」
シシイに電話をかけた。ゴールディだとわかると、シシイは早口で聞いてきた。
「デルベッキオに会えました?」
「それが居場所がわからないんです」
「そうですか…」
「シシイさん、デルベッキオ氏の書いた絵本持ってます?」
「ええ。母の本箱にあったと思いますけど…」
「三冊ともですか?」
「ええ」
「待ってますから、電話口まで持ってきてもらえますか?」
「いいですけど…」
シシイはすぐ戻ってきた。
「ありました」
「それらの本、誰に捧げてありますか?」
「ちょっと待って下さい。えーと、そんなの特別書いてありませんけど…」
「子ネズミ同盟もですか?」
「ああ、これにはあります。あ…母に捧げてるんですね。パティ、キム、バートに捧げる、とあります」
「キムって名、覚えてらっしゃいます?」
「そうか、マディが言ってた母が死ぬ前に言ってた名ですね」
「偶然だと思います?」
「いえ偶然なんかじゃないと思います」
「お母様には、キムって友達いました?」
「いえ、私の知る限りでは」
「バートはどうです?」
「…いえ」
「そうですか…」
「ゴールディさんは母の死についても知りたいんですか?」
「ええ。今はとても知りたいです。あたしの調べてることと関係があるかはわかりませんけど…。何とかデルベッキオさんに会えればって思うんですけど…」
「デルべッキオの居場所を見つければいいんですね。いくつか心当たりがあります。もし、見つけたときには、ゴールディさん、約束して下さい。母に関することだったら、どんなことでもいいんです。たとえ、あたしがショックを受けることでもいいんです。教えて下さい。お願いします。それから…デルベッキオの様子も…」
「わかりました。約束します」
アパートのベッドで、ゴールディは小一時間眠った。目が覚めると頭痛がした。それでも、コーヒーを入れ、二杯続けて飲んだ。胃も少し痛んだ。
パティ、キム、バートに捧げる…か。
ホワイトネズミのローズをパティとすると、あと、ブラックネズミのフランキーと東洋ネズミのトムが残る。キムは東洋系の名前でも西洋系の名前でもどちらでもあるが、キムの方が東洋人だとすると、ブラックネズミのフランキーがバートか…。でも、あくまで絵本なのだ。絵に描き易く、コントラストをつけ、ホワイト、ブラック、オリエンタルとしたのかもしれない。パティ、キム、バートに捧げる、から、そこまで推測するのは、やはり考えすぎにも思われた。