潜在力:ケイタ

 

 アクリル板を隔てて見る父はひどく疲れて見えた。当たり前だ。自分がこんな状態では…。ケイタは思った。

 

 ケイタは衝動的に話したくなった。サトルとアルファーにしか話したことのない秘密を。

 

 

 

 父さん、僕には見えるんだよ。

 

 見える? 何が見えるんだい?

 

 人の悪意が見えるんだ。

 

 悪意? 悪意が見えるのか?

 

 見えるというより、感じれるんだ。邪悪な人間、差別に満ちた人間、自分さえ良ければいい人間…。もちろん、誰でもそんなところを持っていると思うけど、邪悪さが身体中、血管のように巡っている人間がいるんだ。それがわかってしまうんだ。

 

 父は驚くだろう。悪人がわかるのか?

 

 そうだよ、父さん。わかるんだよ。狼の皮を被った人間が。

 

 そう心で呟き、その比喩にふとおかしくなった。狼レイヤー族は善人中の善人が多い。

 

 

 

 ケイタには生まれた時から、レイヤー族が見えた。レイヤー族ではないのに、レイヤーから弾き出されずいつまででも存在できる、これはとても稀有なことらしかった。ほんのたまにいるけどね、カフェ ハーヴィのマスターが言った。

 

 ケイタは自由にレイヤーを行き来できた。コモン層にいても簡単にレイヤー族は見分けがついた。見分けがつくというより感じられた。意識を集中して焦点を合わせると、見えてきた。レイヤー族としての彼らの姿が見えてきた。

 

 その能力を持つものはフィーラーというらしい。レイヤー族層に入り込めるものはフェルル。ケイタは生まれながらのフィーラーにしてフェルルだった。

 

 そしてもう一つの恐るべき能力、それが彼を苦しめた。邪悪度探知能力、とでもいうのだろうか。

 

 

 ケイタは幼い頃から、ある種の人間のそばに行くと、全身が悪寒に包まれるような感覚を覚えた。体の表面が痺れ、胸がひどく圧迫された。最初はなんだかわからなかった。

 

 その人間たちの中で後日、事件を起こすものがいた。傷害、殺人…。非人間的に思える凶悪犯罪だった。ケイタは恥じた。人にない能力が備わっているのに、それを使って防げなかったこと、何もしなかったことを恥じた。

 

 ケイタは悩んだ。でも、誰がその能力を理解できるのだ。起こる前に言っても信じる者はいないだろう。予言を記録に取っておき、実際に起きたことと比べ、その正確さを示し、犯罪を取り締まる側を納得させる、つまりドラマ化された実在するFBI協力者のように霊能者だと認めてもらい警察に協力する、そんなことは今の日本で出来るだろうか? この能力を公にしたら、自分に災難が降りかかる…。何より、自分の特殊能力を使って行動することができなくなる…そんな気がした。

 

 ケイタが初めて行動に移そうとしたのは3ヶ月ほど前のことだった。

 

 母の知り合いの夫婦を見て、ケイタは確信した。この男は妻を殺す。男の妻は首から上だけでも三箇所、内出血していた。スカーフとメイクで隠していたがケイタにはわかった。男は整った顔をしており声はソフトだった。しかしケイタには分かった。男はドメスティックバイオレンスで妻を殺す。それもひどく近いうちに。

 

 ケイタは決心した。男が妻を殺す前に、彼に消えてもらおう。

 

 この世に存在してはいけない者たちがいる。心がない、という点では人間でさえない生き物たち。けれど彼らは自分に危害を加えるわけではないから、もし彼らを消せても正当防衛にはならない。殺人…か…。

 

 自分の能力に自信はあるが、もし間違いがあったら? でもその間違いを恐れて、起きるべき悲劇を防がずにいたら? ケイタは葛藤した。

 

 

 

 その日、ケイタは男をつけた。

 

 男は地下鉄への長いエスカレーターに乗った。 今、男の膝の裏を思いっきり蹴れば…。男の前に人はいない。自分の後ろにもいない。

 

 今だ! そう思った瞬間、上りのエスカレーターに一人の男が乗ったのが見えた。迷いが生じた。

 

 蹴らなければ…。男をエスカレーターから転げ落とすのだ。死ななくても脳挫傷かなにかで昏睡状態になってもいい。そうすれば男の妻からアザは消えるだろう。

 

 上りエスカレーターの人物はどんどん近づいてくる。

 

 よう、ケイタ! 

 

 明るく手を上げたのは、ルネだった。

 

 

 

 人見知りで友人の少ないケイタだったが、少なくとも親友といえる人物が二人いた。アツシとサトルだ。

 

 アツシのニックネームはアルファー。アルファーは天才的創作能力を持っていた。アルファーの描いた絵の前で、ケイタはしばらく動けなくなった。感動…とはこういうのを言うのだろう。美術作品を前に感動を体感したのは初めてだった。

 

 アルファーとはさほど話をしなくても、心が通じた。小さい頃のアルファーは言葉も表情も少なかったが、ケイタは自分と同類の波動を感じていた。アルファーの双子の姉メグが、いつもそばで優しげにそして心配そうに見守っていた。ケイタはメグのことも大好きだった。アルファーは翼族、メグはアルパカ系、二人ともレイヤー族だった。

 

 そしてサトル。サトルも信頼できる幼馴染だった。サトルは思慮深く、長身で静かな佇まいだった。リザード系レイヤー族だ。

 

 レイヤー族は百人に一人いるかいないかだが、ケイタが心開けるのはレイヤー族が多かった。というか心開ける相手は皆レイヤー族だった。

 

 ケイタはアイドル系ルックスだとよくいわれた。アルファーは整った冷たいほどの美しい容貌へと成長した。サトルは190センチ近い長身に薄い目の色をしていたが、顔立ちは和風だった。

 

 三人ともコモン層での外見には恵まれていたが、通っていた高校で三人をダントツに抜いて人気があったのがルネだった。ルネは帰国子女だった。

 

 ルネは社交的で誰にも分け隔てなく話しかけた。静かなる三人組、ケイタたちにも気さくに話しかけて来た。「全くルネなんてキラキラネームつけられて迷惑なんだよ」ルネは屈託なさそうに笑った。アルファーとサトルは、だよなーというように話を合わせたが、ケイタは彼らも何かを感じているのがわかった。自分ほどの確かさではもちろんなかっただろうが。

 

 ケイタは当初からルネに嫌悪感に似た心の波動を感じた。

 

 こいつには何かある。単純に悪人だとは言い切れないが、何かひどく歪んでいる。ルネに初めて会った時、ケイタの呼吸は浅く早くなり、過換気のように体が痺れた。

 

 アルファーとサトルにも聞いてみたかったが、彼らを巻き込むのは良くないと思った。

 

 地震に予兆があるように、悪が弾ける前にも予兆がある。

 

 ルネにはまだそれはなかった。ケイタはルネの様子をしばらく観察することにした。

 

 ルネは外見に恵まれない者を嫌悪していた。バレンタインにルネにチョコレートを渡してくる女の子は多かったが、ルネは誰に対しても感じよく受け取り、ありがとう!本当にありがとう!と真摯にお礼を言って少しシャイに微笑んだ。しかしケイタには、そのあと彼が、チッ!と心で吐き捨てているのがわかった。

 

 ルネの思考に迎合するようなコメントを気づかれないようにルネとの会話に混ぜてみた。ルネは最初、珍しそうにケイタと見ていたが、そのうち案外共通点のある同類なのかも、と思い始めたようだった。

 

 社会人になってからは会う機会も少なくなったが、ルネとの連絡は欠かさなかった。彼のSNSもくまなくチェックした。予兆を見逃してはならない。

 

 ある日、サトルから連絡が来た。サトルの姉のみらがルネと付き合っていると言う。ケイタは尋常ではない怒りを感じた。まるで挑戦状を叩きつけられたように怒りに包まれた。ルネのせいで自殺に追い込まれそうになった女の子がすでに二人いる。どちらも自殺未遂で済んだのが幸いだった。

 

 そのルネが、さほど外見では目立たないサトルの姉みらと付き合う理由がわからない。

 

 あいつら何なんだい?変な奴らだよな、ルネはサトルとアルファーの二人を顎で示しながら、ケイタに言ったことがある。ケイタはさ、親友なんだよな。でもさ、彼ら、何なのさ? ケイタはルネの質問の意味がわからないように、大きく目を見開き、えっ?どういう意味?って顔をして見せた。

 

 ルネはふさわしくない。姉にはふさわしくない。サトルはキッパリと言い、自分なりに手を打った、と言った。ケイタは詳しく聞かなかったが、ルネがサトルに仕返しをするのではないかと恐れていた。

   

 

 

 上がって来なよ。ルネがエスカレーターですれ違いぎわに言った。仕方ない、ケイタは男を蹴り落とすのを諦め、体の向きを変え、下りのエスカレーターを駆け上がった。

 

 久し振り!ルネは笑った。そして言った。

 

 ケイタ、ひょっとしてあの男やっちまおうって思った?

 

 胸がくっとなった。見破られたか…。

 

 ルネに見破られていた。