あの時、シルバは言った。
「大丈夫だから」
私は固まった。現状に一番ふさわしくない言葉…。
大丈夫だから。
だけど、あのとき私は、足先を少しだけ「大丈夫」の方向に向けたのかもしれない。
それからどれだけシルバに助けられたことだろう。シルバは道しるべになった。古い言葉だが、道しるべ。
そして、時間が経った。その間には結婚もして、ミチとの出会いもあった。
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ミチとの出会いはありふれてはいないにしてもとりわけ衝撃的でもなかった。
ある日、夫が抱っこして帰ってきたのだ。
ミチの第一印象はコアラだった。
顔が似てるとか、耳が大きいとか、そういうわけではない。夫に抱っこされている様子がコアラみたいだったのだ。強いていえば、目から鼻にかけて少し似ていたかもしれない。
赤いセーターに黒いズボン。髪は短かったので、男の子か女の子かもわからなかった。ただただコアラみたいだと思った。いつか赤いベストを着たコアラのぬいぐるを貰ったが、そんな感じだった。
私はあまり表情がない、言葉の抑揚も少ないとも言われる。自分では正直なだけだと思っている。喜んでないのにむやみに笑顔を見せられない。悲しくもないのに、言葉に抑揚をつけられない。
それでも世間の感情表現の平均値よりかなりずれていると子供のころから学んできたので、社会適応はかなりできるようになったと自負していた。けれど、気を抜くと素になった。人が楽しそうに話している中、黙々と箸を動かし無表情で食べたりする。別につまらないわけではない。興味がない会話のときは、話しかけられれば答えるが、自分から積極的には話さない。箸を動かしながら愛想で微笑むこともしない。おかしかったら笑う。そんな感じだ。
夫はそんな私の奇妙さ(周りから見たらであって、私にとってはあくまで自然な状態なのだが)を全くと言っていいほど気にしなかった。見栄とか、変な自負とかなく、飄々としてた。「おんなおんなしてる人は苦手なんだよなー」と言ったので、じゃあ、わたしは何なんじゃい、とツッコミたくなった。そして自分がツッコミたくなる人に出会えたということに密かに感動した。夫は私の友人ジョウの紹介だった。その頃は、私もジョウも断酒に成功しつつあり、自分に対する自信と目的意識を少しずつ構築しようとしているところだった。
恋愛、恋心、夫婦になって添い遂げる、愛情深いつれあい。私たち二人はこんな言葉とは全く違ったレールにのって、それぞれの存在を認め合い、それを心地よいと思い、一緒に住みだし、ある日ふらっと籍をいれた。
わたしたちは友達のようだった。お互いにしてもらって当然ってことが皆無に近かったので、無理をすることもなく、楽だった。ひとりでいたときより、ずっと落ち着いていられる、一人より二人がいい、それが私たちの共通の思いだった。
ある日、夫がコアラのようなミチを連れて帰ったとき、そのバランスがゆらり、と揺らいだ。
それでも、どうしたの? とさほど驚きもせずに私は聞いた。
マキがちょっと精神的にみられなくなってさぁ、一緒にしておくと何がおきるかわからないから、連れてきた。
マキって誰?
どうやら私との結婚前につき合っていたことのある人で、子供が生まれたと結婚後に知ったが、自分の子だとは思わなかったらしい。聞いたのが別れてから随分経ってからだったからもあるだろう。ただ、あなたの子だったの、といきなりで電話がかかってきて会いにいったら、自分の子だと直感したという。自分の子なのは確かだと思う、と真剣な眼差しで言った。
マキって名前聞いたような気もしたが、どうだったんだろう、私は記憶をさかのぼったが、ジェラシーとか無縁の性格だったので、聞いたとしても忘れていたのだろう。
そう、確かなのね、と、リビングのソファに置かれ、きょろきょろしているミチを見ながら言った。見るというより、観察に近い感じだった。ミチは首をカクッカクッと90度ずつ動かした。その様子が小鳥みたいだと思った。
その顔をじっと見てみると、やはり似ていた。小鳥にではなく、夫にだ。
結婚前のことなら仕方ないか、と思った。もっとも結婚後であったにしてもさほど動揺しなかった気もした。
えっと、服や食べ物や、知っとくことは? あたし、育てたことないし、子供って。
ミチを抱き上げながら、パピーがペットのカメをこっそり買ってきたときや、捨て猫を拾ってきたときのことなどを思い出し、それとは違うでしょ、ちょっと不謹慎だと思ったりした。
その日から、猛勉強プラス実地訓練だ。本もネットもいろいろ調べ、基本的情報は得た。あとはとにかく安全第一に1才7カ月の子供の世話をする、これにつきる。
夫は翌朝からけっこう安心して会社に出ていった。凄く信頼されているのだと、かなり呆れた。
子供にはとにかく愛されている、存在を無条件に受け入れられている、という安心感を与えること、をモットーに育てることにした。
そこで、何があっても、「大丈夫だから」と言うことにした。私がシルバに言われて、わけもないのに心に少しだけ温かいものが流れた言葉。道しるべより以前に旅の前に書いてあってほしかった言葉。
子供ながらの好奇心から失敗しても物を壊しても、その他もろもろの不都合なことが起きても、必ず最後に「大丈夫だから」と言ってみた。
危ないことをしたときだけは別で、肩のところを強めにきゅっと両手で挟み、「危ないわよ!怪我をしたり、させたりしてはだめよ!」と注意した。
それ以外はミチが不安そうになるたび「大丈夫だから」を繰り返した。時を変え、場所を変え、ミチに「大丈夫だから」と言った。ある時は抱きしめ、ある時はしっかり見つめ、ある時は一緒に床に転がり、ある時は並んで歩きながら言った。
最初の頃は、好奇心、責任感、観察の楽しさ、生き物の成長を見るワクワク感…そんないろんなものが混ざっていた。その中に、幼い無防備なものに対する愛情、母性本能はどれくらいあったのか…。
ただ、少しずつ変化していった。ミチが視界に入っていなくても、あれれ、どこにいったのだろ、くらいだったのから、どこ?どこ?大丈夫かな?何してんの?へ直線上をゆっくりと動いていった。
私は、しっかり抱きしめて、目を見て「大丈夫だから」ということをルールとし、悦に浸った。きちっと母親できてる感に満足した。
夫は正式にミチを引き取った。
私はごくごく普通の親になり、普通の親がすることはした。しすぎるわけでもないが、しなさすぎるわけでもない。丁度いいあたり、にいる平均的に良い親でいようとした。
顔は全く似てなかったので、あら、お母さん似ね、と言われることはなかった。夫に似ていたので、みな父親似で満足して、母親と血がつながっていないのでは、と思う人はいないようだった。
冷静な親、模範的な親、と言われた。凄くいい意味で使われたのではないな、と感じたけれど、冷静や模範的で悪いはずはなかった。
「ママ、目が見えにくい。見えない」
突然ミチが言ったのは4才になった頃だった。私は焦った。動転した。こんなに動転したのは初めてだった。
検査をすると、視力はかなり悪くなっていた。視野も狭い。しかしMRIや眼球の検査では、異常は見つからなかった。
「精神的なことが原因の可能性もあります」
若い柔和な医師は言った。子供は下の子ができて自分に注意を向けられてないと感じたり、以前より愛されてないと感じたり、ストレスや不安があったりすると、視力が落ち、視野が狭くなることがあるのだという。
「最近、何か変わったことはありませんか?」
産みの母親から離れて連れてこられたのは随分前だし、本人は覚えていない。じゃ、自分が本当の母親でないって言うべきだろうか、とふと思ったが言わずにおいた。
「特に思い当たりませんが・・・」
「とにかくしばらく不安を与えないよう、注意を向けてあげて下さい。それでいて神経質ではなく、大らかにしてください。必要なのは…」
医師がそこまで言ったとき、「優しい感情表現」とか「理屈でない無条件の愛」が続くのではないかと思ってひやっとしたが、「親まで必要以上に神経質にならないことです」だった。
その夜、ひどく暗い気持ちになった。悲しい気持ちにもなった。焦りもした。
アルコールに溺れて苦しんでいたときとも、どうにも心が通じないと私が一方的に思い込んでいた親がいなくなった切なさに心がちぎれそうになったときとも、まったくちがう感情だった。胸が上から押し付けられ、身動きがとれなくなるような切ない感情だった。自分はミチを守りたいのだ、と気づいたとき、パニックの中でも何かがはっきりと動いた。
夜、小さく、大丈夫だから、と声がする気がして目が覚めた。大丈夫だから。大丈夫だからね。
「大丈夫だから」って言ってもらいたかったのは、ずっと自分だったのだ。私はずっとこの言葉を待っていたのかもしれない。シルバが言ったときはまだそれに気づいていなかっただけだったのだ。
ミチの視力は回復せぬまま、しばらく続き、私は、「大丈夫だから」をほおりなげた。
私は医師の言う「おおらかに」の逆を行っていた。言葉は少なくなり、気がつくと涙ぐみながら、わけもなくミチを抱きしめていたりした。ミチはもともと口数の少ない方で、黙って少し首を傾げながら、私を見たりした。
明日は病院で心理検査という前の日、公園へ出かけた。雲が三つ浮かんでいた。気持ちのよい日だった。私はミチの手をしっかり握り、少しだけ振りながら、無理してハミングして、木々の間を歩いた。ときどき、とりとめない言葉をミチにかけたりした。
公園内にあるバーガー屋でチキンを二本にお茶を二つ買い、ミチとチキンを一本ずつ持って食べた。
「明日、病院なのね?」
ミチが聞いた。
「そうよ」
「お目目の?」
「そうよ」
私はできるだけにっこり笑い、「大丈夫だからね」と言った。
久しぶりに言った「大丈夫だから」だった。
ミチはしばらくその丸い目で私を見ていたが、急にチキンをほおばる手をとめると言った。
「大丈夫だから」
「えっ?」
「大丈夫は大丈夫だから」
「うん?」
「ママ、大丈夫だから」
「うん…」
私のチキンを持つ手が少し震えた。涙があふれそうになるのをぐっと抑えた。
「大丈夫だから、は大丈夫よ、ママ」
ミチはわざとらしいほどの笑顔を見せた。幼いながら、私のために作ってくれた笑顔だった。
「それにね、ミチ、明日は見える気がするんだ」
うん、うん。私はチキンに落ちる涙ごとチキンをほおばった。
そうだといいね、そうだと。
大丈夫だから、と心の中でつぶやいた。幼い頃の自分につぶやいた。大人になった自分につぶやいた。お母さんもこの言葉、私から聞きたかったんじゃないかな。私もお母さんに言ってもらいたかったんじゃないかな。
世の中、大丈夫でないこと多いけど、大丈夫よ、ってつぶやくこと、言ってくれる誰かがいること、それって大切なんだと思う。そうすると、大丈夫じゃないときでも少しだけ希望が持てる。
希望って道しるべと同じですごく大切だと思う。
あの時、シルバが言った「大丈夫だから」は私からミチへ流れ、そして最近、ミチはよく友達に口にしてる。「大丈夫だからってさ! とりあえずそう思おうよ」 彼女の楽天的性格はこのままでいいのか、とも思ったりするが、まあ大丈夫。そう思いたい。
大丈夫だから、と言い聞かせ続けたミチも今11歳になっている。