ぺえさん
あたしが最初にぺえさんを見たのは小さなスタジオだった。
ぺえさんはそのスタジオでピカイチだった。演技ではなく存在がピカイチだった。
時代物の鬘と額との境にうっすらうかんだ汗も気にならないくらい素敵だった。
空気を人の何倍も思いっきり吸い込み、精一杯生きている男のようだった。
完全に一目惚れだった。ぺえさんは周りの男たちより頭半分は高く、どこか少し訛りがあった。眉が太く日本人にしては彫が深かったが、目をつぶると彫の深さは薄れ、とても静寂な顔になった。
頬の二本の刀傷ともみあげつきの時代劇のかつらがよく似合っていた。低予算のため、鬘は必要以上にてっかり光っていたが、それでもぺえさんによく似合っていた。やっぱりピカイチだわ、あたしは思った。
ぺえさんを見たのはそれが初めてで、こんなにも劇的な雰囲気を醸し出す男を見たことがなかったので、ポカンと口を開けて見惚れた。
それ以来、あたしはスタジオでぺえさんに会うのが楽しみになった。
ぺえさんとはどこからついたニックネームか知らなかったが、ぺえさんというとぼけた呼び名と、目の前の口を歪めて豪快に笑う用心棒とがどうにも結びつかなかった。
ぺえさんが異様に無口だったのは強い訛りのせいらしい。あたしにはどこかの訛りがあるな、くらいにしか思えなかった。実のところひどい訛りかどうか判断するくらいの長い台詞は聞いたことがなかった。
ぺえさんを以前から知っている人は、ぺえさんの訛りは滑稽なほどだったと言った。あくの強さと無口な威圧感だけで勝負する役が多いのはそのせいらしい。ぺえさんは与えられた台詞を全て、練習を重ねたぺえさん風の味付けをして言ったので、ちゃちなセットに入ってその台詞を言うころにはどんな台詞だろうと、ぺえさんが声を出して何かを言っている、ということ自体に重大な意味がつくのだった。
ぺえさんが台詞を言うとあたしは息を止めた。一度彼の演技に感銘を受けた監督がかなり長い台詞を与えた。ぺえさんは一句一句を心をこめて同じ迫力で言ったので、彼の台詞だけ浮いてしまって結局役を下ろされた。
ぺえさんの存在感はあまりに強すぎ、どのように扱っていいのか、皆、頭を悩ませた。結局落ち着くのは短い台詞を凄味をこめて発する用心棒か人斬りの役だった。誰も現代ドラマにぺえさんを使おうと思わなかった。現代ものでは人間は優しくかぼそく弱い。そんな人間達のドラマにぺえさんが出演したら、番組はそれだけでパロディになりかねなかった。
ぺえさんは技術的にうまい役者さんではないが、彼しか出せない味を持っていた。そんなことを言ったら、誰でもそうだぜ、と口をとがらす俳優さんも多いだろうが……。
ぺえさんは努力家だった。衣装部屋の中から「せっしゃ、それなりの覚悟があってのことであろうな」と低い声が聞こえてきてびっくりしたことがある。驚いたあたしが、ぺえさん、と声をかけると、一瞬静けさが広がった。氷の出来る音すら聞こえるのではないかと思うほどの静けさだった。
衣装部屋から出てきたぺえさんを見て、私は驚いた。
ぺえさんの顔は神々しい雄鹿のようだった。飴色に光る角。薄茶色の毛に覆われた顔。そしてあたしを見る目は丸く大きかった。浪人侍の衣装を着ていたが、鹿のような角がついていても全く不自然には見えなかった。
小さい頃から時々、人が纏うスピリット的外見が見えることがあった。祖母に言った時、何故だか、祖母にだけは言ってもわかってもらえるような気がしたからだが、祖母はあたしの額と髪のさかいの部分を優しくして撫ぜながら言った。
私たち人間ってね、自分たち以外の生き物や住まわせてくれるこの大地にそれはそれはひどいことをしてきたのよ。行き場を失った大地にこもった霊や動物の精霊はどうなると思う。真知子には時々それを纏っている人が見えるんだね。あたしもそうだったよ。
あたしに見えるその人たちはたいてい何かの動物に似ていた。ある動物そっくりってわけではなく、ある種の動物が見せる神秘的外見を纏った人間、そんな感じだった。初めて見えた人はダチョウに似ていた。
その人と目が合った時、あたしは自分の中の静かなエネルギーの波動を感じた。その人はあたしを見て、ゆっくりと瞬きをした。繋がった、と思った。その人の視線とあたしの視線がつながった、と。けれどそれは数秒のことで、その人はすぐに頭の薄い皺が刻み込まれた中年の男性の顔になってしまった。
あのとき衣装部屋から出てきたぺえさんは光り輝いていた。角が光り輝いていた。瞳も茶色い鼻先も、首元を覆う茶と金色の間のような毛も、全てが光り輝いて見えた。そんな神々しく美しい存在は初めてだった。ペえさんは二、三度、角をぷるっと振るわせたが、私が目をつぶり大きく息を吸うと、目を開けたときにはいつものペえさんに戻っていた。
「いたのか、まーちゃん」ぺえさんは少しうわずった声を出した。ぺえさんをこんな近くから見るのは初めてだった。かつては骸骨のようだったというぺえさんだが、今は背に似合っただけの筋肉もつきがっちりしていた。しっかりした一つ一つのパーツが大きい顔を目の前にして、ドキドキはしたがまじまじと見つめてしまった。雄鹿に似たペえさんをもう一度見たいと思ったが、私の中の波動とエネルギーは消えてしまい、集中力は戻らなかった。
ペえさんは額のところが少し薄くなる傾向があった。太くてかたい髪の人は禿げにならないって聞いたけど嘘ね、とあたしはぺえさんの額にできたくっきりした皺を数えながら思った。
ぺえさんが、まーちゃんとあたしの呼び名を知っていたのには感激した。確かにみんなまーちゃん、まーちゃんと呼んではいたが、ぺえさんの耳には届いてないものだと思っていた。ぺえさんと向かい合っているということにあたしは至福感を感じていた。
それ以来、少しずつ言葉を交わすようになった。
「暇なとき何するの?」
「散歩…かな。猫に餌やったり」
「猫? なんて名?」
「まーちゃん」
「ほんとに? あたしと同じなんだ」
「偶然にも」
「いつから飼ってんの?」
「2年前から」
「じゃ、あたしよりつきあい長いね、そのまーちゃん」
「母親の友達のおばさんからとったんだ。今じゃもうおばあさんかな。よく部屋の隅で丸くなって寝てしまってね。酒を飲みにきてはしょっちゅうそのまま寝込んでしまうもんだから、おふくろ、まーちゃん、まーちゃんって起こすのが大変でね。俺まだ小さかったけどその声が妙に頭に残ってるんだ」
「そうなんだ」
ぺえさんとあたしは少しずつ親しくなった。親戚のおじさんと子供といったような関係だった。あたしがぺえさんに一目惚れをしたのは確かだったが、女の子が恋愛に陥った、というような感情ではなかった。最初は鬘をかぶり凄い形相をしているぺえさんに惚れた。雄鹿のスピリチュアルを纏うぺえさんに惚れた。そして鬘をとったぺえさんと話すようになってからは、内面の静かさに惚れた。
あたしは時代劇専門の少女役だったし、ぺえさんは癖のある斬られ役専門だったので、顔を合わせることがけっこうあった。収録が終わると二人で食事に行ったりもした。いつも金欠の二人だったけれど、ぺえさんは必ず奢ってくれた。
ぺえさんは花屋の前を通ると足をとめた。あたしにどの花が好きかと聞くことなく、しばらく見つめていたが、これと決めるとさっと手に取りレジに持っていった。
名前も知らぬたおやかでささやかな花の鉢。花束でも花籠でもなく、鉢だった。
何度か、そんなことを繰り返し、結局、もらった鉢は五個になった。
スタジオ見学にオレンジ色の帽子をかぶった若い女が訪れ、ぺえさんに興味を持った。父親はメディア業界で一目置かれる存在だった。
ぺえさんとオレンジ帽子は仲良くなった。
ぺえさんは標準語で話し始め、服の趣味もよくなった。
そして……ひがんで考えれば、あたしがそばにいるのをうっとおしく思い始めたようだった。
もうあたしがぺえさんと出かけることはなくなった。
ぺえさんの凄味は消えた。かわりに現代劇でなかなかいい味を出すようになった。でも純粋な人間だけが出せる凄味が消えた。
ある日、現代もののドラマをの中でぺえさんがかつらをかぶっているのに気がついた。値のはるかつらだろう。あの衣裳部屋でテカテカ光っていたかつらとは大違いだった。
何かが違った。
あの時はセットも衣装も鬘もみんな嘘っぱちでぺえさんだけが本物だった。いつもありったけの力で台詞を言うぺえさんだけが本物だった。
プライムタイムのドラマの中のぺえさんはなかなかうまい。計算された演技力。でもあたしにはぺえさんがしぼんで見えた。
けれどそう思っているのはあたしだけかもしれなかった。ぺえさんの演技の凄味を愛したあたしには、金をかけたセット、よくできた脚本の中で、渋みと洗練さを加え、巧く演じているぺえさんが受け入れられなかっただけかもしれない。
あたしは「ぺえさん…」と小さくつぶやき少し泣いた。お宅拝見で、オレンジ帽子の趣味なのかブランドグッズに囲まれたリビングを快活に案内したり、バラエティで手をパチパチうちながら笑い転げるぺえさんは、ぺえさんであってぺえさんでなくなった。
あたしのぺえさんは消えた。神々しいほどの雄鹿に似たぺえさんにももう会えないだろうと思った。
あたしは画面の中のぺえさんに目をやった。いいわよ、もうぺえさんなんて呼ばないわよ。あたしのぺえさんは消えた。
ぺえさんが買ってくれた鉢に水をやるのをやめた。雨があたる場所にほおっておいた。5個の鉢。どの鉢にも雑草しか生えなくなった。一つの鉢など、伸びた葉っぱがかなりの長さになった。
駅前の花屋でこれでもかというほど花をぎっしりつけた鉢を5個買い、ぺえさんの鉢の中身はすっかり土ごと捨て、入れ替えることを考えた。鉢の中身をぽいぽい捨て、無造作に花いっぱいのものに植え替える。というか、ぽんと入れ替える。そうすれば小さなベランダはいっぺんに明るくなるのだろうか。
ある休みの日、ふとあるカフェに行ってみたくなった。ぺえさんと数度行ったことのあるカフェ。
サンダルを引っ掛けて二駅先のカフェ・ハーヴィに行った。ぺえさんが「このカフェでは輪が見えやすいんだ。輪は見えないかい?」と聞いたけれど、あたしには輪は見えなかった。輪が見えたら、それをくぐってレイヤー族の層に行ける人がたまにいるらしい。
「まーちゃんはフィーラーだね。輪をくぐらなくてもズームすると見えちゃうことがあるんだろ」
「ほんのたまに」あたしは答えた。
その店では独特の波動を感じた。集中すると、波動を感じると、カフェ内にいる数人の纏うスピリチャル的容姿が見えてきた。
マスターは見事な銀色の狼に似た容貌をしていた。
「ここにいる人ってたいてい…」
「レイヤー族だよ」
レイヤー族…。一つの場所に何人ものレイヤー族が見えたのは初めてだった私は、少しだけ興奮した。
一人でカフェ ハーヴィに来るのは初めてだった。
「久しぶりだね、まーちゃん」
カウンターを拭いていたマスターが言った。
ぺえさん最近来る? 聞きたかったけど聞かなかった。
今日のあたしには波動のような感覚の鋭さは訪れず、マスターは銀髪が綺麗な中年の男の人でしかなかった。
あたしはコーヒーと玉子サンドを食べて店を出た。ちょうどその時銀髪のショートヘアの女の人が店に入ろうとしているところだった。この人もマスターのように狼のスピリットを纏っていたりするのかな。一瞬彼女を凝視した。けれど、彼女は少し疲れて見える頬の線がシャープな中性的な女の人にしか見えなかった。
彼女の方もあたしに興味を持ったようだった。少し微笑んで、話しかけてきた。
あたしは目を見開き、通りの騒音に消されそうになる彼女の言葉に集中した。
彼女はシルバといった。本名はカオルらしい。シルバは私の母親くらいの年齢に見えた。
あたしはシルバに誘われるまま、出たばかりのカフェ ハーヴィに入った。ぺえさんのことを話し、少しだけ泣いた。話し終えると、あたしは辛さのピークをしっかりと超えたことを感じていた。シルバは12歳の子供がいること以外、自分のことをほとんど話さなかったけれど、彼女はきっと私なんかよりずっと心に食い込む様々な経験をしてきたのだろうと思った。
カフェからの帰り道、「いやだ、そんなことも知らなかったの?」なぜかいつか母が言った明るい声が頭の中に響いてきた。知らない間に実家の庭いっぱいに広がっていたスギナに驚いたあたしに、母は「だってつくしがいっぱいあったでしょ?」と言い、「つくしとどう関係あるの?」って聞くあたしに「やだ、つくしがスギナになるのよ」と笑った。
調べてみると、確かに春につくしが出てしばらくすると地下茎からスギナの緑が広がっていく。
見かけの違いだけかもしれない。ふと思った。
ぺえさんはぺえさんで、あたしの見ていたぺえさんがぺえさんの一つの形で、もともとあったぺえさんが芽生え、すくすく伸びていったからといって、変わったと嘆くのはお門違いなのかもしれない。そしてぺえさんは今でも、あたしさえ見る心を持てば、雄鹿に似たスピリチュアルを纏ったその姿を垣間見ることができるのかも知れないのだ。
つくしとスギナ、もとの存在は同じ。現れる時期と形が違うだけ。
人間ってみんなそんなもんじゃん。
そう思うとなんだか大げさに嘆いてみたのが馬鹿らしい気がした。
ぺえさんはぺえさん、かつてのぺえさんがいて今のぺえさんがいる。今のぺえさんが気にくわないからといってかつてのぺえさんへの思いを変えるのは自分勝手というものだ。
昔のぺえさんは昔のぺえさんで保存しよう。透明標本のようにしっかり蓋をして。そうすれば今のぺえさんがどうなろうと、何をしようと気にならないはず。
今そこにある昔。
昔、そこにあった未来。
ふとそんなことも思った。
人は変わっていくのだ。望もうと望むまいと。
久しぶりに鉢に水をやろうと思った。
一つずつ丁寧に水をやった。何も生えていない鉢にもやった。小さな双葉が所せましと出ている鉢にもやった。細長い葉っぱがあたしの腰くらいまで伸びている鉢にもやった。
太陽が額にあたたかかった。
ふと目を閉じ、風を感じると、水が少しだけ指を伝わって肘からこぼれた。